米市場、積み上がる待機資金 MMF残高が10年ぶりの水準に

QUICKコメントチーム=松下隆介 米国市場で待機資金が積み上がっている。米ICI(インベストメント・カンパニー・インスティテュート)が15日発表した、14日時点のマネーマーケットファンド(MMF)の残高は前週比180億ドル増の3兆3544億ドルと、リーマン・ショックが尾を引いていた2009年10月末以来、約10年ぶりの水準まで増加した。米中貿易摩擦の深刻化などを受けて機関投資家がリスク資産を手放し、残高の増加につながったようだ。一方で、個人投資家の残高は8週ぶりに減少した。 ■MMF残高の推移(ICI、単位10億ドル)   ※QUICKデリバティブズコメントはトレーダーやディーラー、運用者の方々へ日経平均先物・オプション、債券現物、先物を中心に旬のマーケット情報をお伝えしています。ライター独自の分析に加え、証券会社や機関投資家など運用・調査部門への独自のネットワークから情報を収集し、ご提供しています。特設サイト上で「US Dashboard」のサービスを始めました。米経済・市場の変化を見極めるツールです。またQUICKエクイティコメントは、国内株を中心に相場動向をリアルタイムでLIVE解説するQUICKのオプションサービスです。

AI取引、テールリスクには無力 長期投資の全面依存は難しく

日経QUICKニュース(NQN)=今晶、菊池亜矢 波乱要因の少ないごく短期の取引での活用ノウハウはほぼ確立している半面、長期投資での全面的な依存は難しい――。人工知能(AI)に対する現時点での金融・資本市場の評価だ。経験則の通じない「想定外」の事態に臨機応変に対処できないためだが、そのことを理解するには、AIの基本的な思考回路を把握しておく必要がある。 ルール有のゲームは強いが…… AIの基本は統計処理で、基準となる確率分布が安定していることが重要になる。例えば、サイコロを振ってどの目が出るかは6分の1の均等な確率。しかも1から6以外の目が出ることは絶対にない。そのような、決まった現象が決まった確率で発生する事態を高速で処理するのは得意中の得意だ。ルールが明確で、起こりうる現象すべてを想定し戦略として落とし込める、いわゆる「ゲーム」でAIはめっぽう強い。チェスや将棋、囲碁の世界での強者ぶりは皆が知る通りだ。 市場でこの「ゲーム性」を最もよく体現するのは、マイクロ秒(100万分の1秒)単位の速さで売り買いを繰り返す高頻度取引(HFT)など、パターンを単純化できるごく短期の取引だ。HFTはわずかな需給のゆがみに着目した裁定取引で「入力されたデータ(変数)に沿ってパターンを分析し、ミクロレベルの変化を察して注文を出す」(バークレイズ銀行で日本のEコマース・トレーディング部門のヘッドを務めるデービッド・サン氏)。取引自体はHFT向けにチューニングされた専用の高性能コンピューターが担う。 AIの主な役割は人間よりも早く判断をし、プログラム修正などの指示を的確に出すことだ。HFTのコンピューターと同様に、不眠不休で働き収益機会を増やせる。 中銀が意外な行動をとったら…… だが長い目で見ると、参加者が極めて多くランダムに動きやすい市場では均一な確率で起きる現象はないといっていい。そのため、ある現象から割り出したデータを将来の事象に当てはめる「予測」の精度を上げるのは厳しい。しかも、AIは知らないことや分からないことに直面すると思考を止めたり、暴走したりする。機動的な対応が可能な人間との現時点での最大の違いはここだ。 市場は、「テールイベント」と呼ばれる「起きる確率は非常に低いが、起きると影響が極めて大きい」事象にも遭遇する。確率は低いといっても、2000年以降は03年のイラク戦争から08年のリーマン・ショック、11年の欧州債務危機や15年1月のスイスフラン・ショックなど「ショック」と呼べる大変動は決して少なくなかった。そんなテールイベントのリスクに対し「AIは無力」というのが市場の定説だ。 機械分析の根幹をなす分析軸の1つに「中央銀行は理性的に動く」がある。ところが、日銀による異次元の金融緩和策など中銀が従来の行動パターンを外れるケースが増えてきた。ハイライトがスイスフラン・ショックだ。スイス国立銀行(中銀)がそれまでかたくなに守ってきた1ユーロ=1.20フランの維持姿勢を突然撤回。中銀のフラン高阻止を前提に分析してきたプログラムは総崩れとなった。 自ら誤差を修正できない…… 学界を中心に、テールリスクの予測を試みる研究が進んでいる。それでもまだ「極めて低い確率で起きうる一度きりの現象」にはてこずっているようだ。テールリスクが起きる度にデータを入力し続ければ、人間と同じように学習し、いずれ適切な判断ができるようになる――。その通りなのだが「言うはやすし」なのだ。 バークレイズのサン氏が面白い事例を教えてくれた。欧米で評判の、まるで人間が書くかのような自然な文章を書けるAIプログラムに小さな誤りが生じたとする。人間なら「あ、間違えた」とすぐに直せるが、コンピューター上の誤差はどんどん拡大し、その後の文章は支離滅裂になっていくらしい。誤差要因がデータにないためAIは誤差を検知できず、修正するすべがないわけだ。 AIにおける機械学習には、出発地と到達地を設定しルールだけを教えて正解は与えない「強化学習」がある。自動運転などで期待される手法だ。だがランダム性の強さから考えて、金融・資本市場での実用化に向けたハードルは高いだろう。机上でトレーニングを重ねても、データ上の確率は現実世界の確率にはならない。 市場環境は日々刻々と変わる。きょうは円安・ドル高で円売り・ドル買いが最適だったとしても、あすも取りうる最適の戦略になるわけではない。人間なら「あしたはあしたの風が吹く」と鼻息混じりでこなせることなのにAIはできない。その差は大きい。 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

目指せデータの達人⑪米国株の急落を予兆?する「ダウ・金倍率」

日経QUICKニュース(NQN)=張間正義 金価格の高騰は米国株の急落を予兆しているのか。金価格の上昇の裏で、こうした話題が市場の関心をさらっている。足元の米国株に対する金価格の比率は過去を振り返ると、米国株急落を予兆する水準にまで上昇している。今回も米国株急落に対する備えが必要かもしれない。※参考記事「ヘッジファンドの帝王レイ様も推奨、NY金先物が6年ぶり高値」(7/18) 注目したいのが、米ダウ工業株30種平均株価の値を、ニューヨーク商品取引所(COMEX)の金先物相場で割って算出する「ダウ・金倍率」だ。ダウ平均を「1口」買うのに、金が何トロイオンス必要かを示す。倍率が高いほど、米国株が金価格に対し割高といえる。 ■米国株の金価格に対する割高度合いが高まっている ダウ・金倍率は6月末時点で18.6倍。2018年9月の22.1倍を直近のピークとして低下傾向にあるものの、11年夏からの長期の上昇局面は終わっていない。水準自体は08年9月に発生したリーマン・ショックの前の07年末以来だ。 84年以降を振り返ると、ダウ・金倍率のピークアウトは米国株下落のシグナルとなっていた。87年や99年、07年は米国株が金価格に対し大幅に割高な水準まで買われ、比率が急上昇。その後、99年はIT(情報技術)バブルの崩壊、07年はサブプライムショックを発端とした金融危機により株価急落につながった。 今回も近いうちに米国株の急落は起きるのか。商品先物会社フジトミの斎藤和彦チーフアナリストは「米長期金利の動向がカギを握る」と指摘する。足元の株価と金価格がともに上昇しているのは、米国の長期金利を中心とした世界的な金利低下が主因のためだ。 今月10日の米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長の議会証言などで、7月末の米連邦公開市場委員会(FOMC)での利下げがほぼ確実視されている。ただ、その後についてはFRBと市場の温度差から、米金利が急上昇する可能性もある。その場合、米国株が大きな下落に見舞われるリスクは注意しておく必要があるだろう。 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

平成・危機の目撃者⓯ 香月康伸が見たリーマン・ショック(2008)=最終回

震源地はいつもクレジットバブル 背後にはいつもクレジット(信用)バブルがあった――。リーマン・ショックをもたらした米国のサブプライム(低所得者層)向けローン市場の混乱など、平成の世界を揺さぶった危機はおおむね信用バブルが震源地になっている。1997(平成9)年に経営破綻した山一証券の出身で、現在は投資銀行部門の市場調査を手掛けるみずほ証券の香月康伸シニアプライマリーアナリストは「これからも『すべての道はクレジット商品に通ず』だ」と話す。       香月康伸氏 かつき・やすのぶ 1989(平成元)年に山一証券入社。証券営業の後、英国留学し帰国後は債券部でリサーチに携わる。山一の自主廃業に伴って98年に興銀証券(現みずほ証券)に移り、国内外のクレジット市場と公的部門、ストラクチャードファイナンスを中心に調査業務を続け、2014年にはプロダクツ本部のプライマリーアナリストとして発行体向けリサーチ活動を始めた。19年4月からサステナブル・ファイナンス室SDGsプライマリーアナリストを兼務 ◆レバレッジ追求、マネーの総額が実体経済の3.5倍に 平成の約30年間で、実体経済の規模をはるかに上回るお金(マネー)が市場に出回るようになった。世界の金融資産の総額と名目の国内総生産(GDP)のバランスは1980年ごろはほぼ均衡していたが、日本のバブル期の90年には金融資産が名目GDPの2倍を超えた。リーマン・ショックが起きる前年の07年には3.5倍程度まで膨らんだ。 借り入れを併用し運用資産を膨らませていく「レバレッジ」をここまで追求できた時代は過去にない。大量のマネーがファンドや証券化商品に流れていくのを横目に「ファンド資本主義」なる言葉も生まれた。その延長線上でサブプライムローンの市場が膨張し、ベアー・スターンズやリーマン・ブラザーズを巻き込んで破裂にいたったのは自然な流れといえるだろう。 ファンド資本主義という言葉が生まれた当時、「ニューキャピタリズム」と呼ばれる考え方も出てきた。融資先が破綻すれば金融システム全体を動揺させかねないとの伝統的な思想に対し、ファンドを通じて世界中から資金調達できればシステムは安定し、危機は発生しにくくなると主張するものだった。 企業が成長資金としてマネーを求めるのではなく、マネーが投資対象として企業を求める。過剰流動性が我も我もと投資先を取り合ったために企業の債務不履行(デフォルト)率は確かに下がり、世界的な低金利環境も背景に投資残高は積み上がった。だがいずれ限界は来る。信用膨張が極限まで進んだときに起きたのがリーマン・ショックだった。 ◆「北極星」が動くほどの衝撃 米国のサブプライムローン債権は様々な形で証券化された。市場参加者のほとんどは「(証券化商品が抱える)リスクは全部分散しているから大丈夫」と安心しきっていたが、右肩上がりと思われていた米住宅価格の上昇が止まり、(住宅価格の上昇を前提としていた)サブプライムローンの仕組みの根幹が崩れるとマネーの逆回転が始まる。 そのころ、金融保証会社(モノライン)が最上格のトリプルA格を失った。モノラインは金融市場の関係者にとって北極星のようなもの。情勢判断をするうえでの重要な支点となる。モノライン格下げは北極星の位置が動いたぐらいの衝撃だった。余剰資金の大きな受け皿となっていた米住宅市場とその証券化商品が発火点になり、危機的状況に陥った。 リーマン・ブラザーズの破綻で世界を金融不安が覆うと、銀行支援に乗り出さざるを得なくなった欧州各国の財政は悪化する。体力のない国への投資家の視線は厳しくなっていき、南欧諸国との格差問題など、ポピュリズムの台頭のきっかけにもなった。 うねりは新興国にも波及し、マネーの還流を伴いドル高が進行。金融システム不安と全く関係のなかった日本の円にも「低リスク」とみなす買いが入り、円高を通じて実体経済が打撃を受けてしまう。 ともあれ様々なイベントの中心には常にクレジットがいた。平成はそんな時代だったわけだ。 ◆社債発行市場は20年余りで成熟、確実に前進 山一証券が1997年に自主廃業をしたときには債券のディーリングルームにいた。日本の社債市場元年はこの97年と考えている。97年と98年の2年間で、実に20兆円もの起債があった。 97年は中堅の三洋証券が無担保コール市場でデフォルトし、次いで北海道拓殖銀行が倒れた。そして山一だ。金融不安の中で株価は下がり、景気も悪くなっているのに企業はなぜ資金調達をしようとしたのか。10年ほど前のバブル最終局面で発行された大量の新株予約権付社債(転換社債=CB)が満期を迎え、借り換えのニーズが高まったためだ。 エクイティ(株式)のファイナンスはできず、銀行も金融不安のなかで融資に応じる余裕はない。残された選択肢が社債だった。国債比での金利の上乗せ幅は相当なものだったが結果的に、それまで電力債が大半だった日本の社債市場に様々な業種の発行体を呼び込み、年限の多様化が進んだ。99年にはノンバンク社債法施行や普通銀行の社債発行解禁などもあり、市場はおおいに盛り上がった。 間接金融が主体の日本市場では米国などに比べると社債市場の規模はまだ小さい。だが足元では、40年の社債発行も一般的になるなかで三菱地所による50年債が出てくるなど、成熟度は高まりつつある。確実に前進はしていると感じている。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美 =おわり

平成・危機の目撃者⓬ 伊藤嘉洋が見たバブル崩壊(1992)

市場の宿命、令和の時代も必ず起きる 平成の日本はバブル崩壊とその後始末に追われた。海外でも1997(平成9)年のアジア通貨危機や2008年のリーマン・ショックに直面し、18年にはインターネット上の仮想通貨ビットコインなどのバブル崩壊が起きた。それらの出来事が示すのは、投資家が利益を追求する限りバブルは避けられないということだ。株式市場にかかわって今年で57年、酸いも甘いも知る大ベテランの伊藤嘉洋・岡三オンライン証券チーフストラテジストは「バブルは次の令和の時代でもまたやってくる」と断言する。 伊藤嘉洋氏 いとう・よしひろ 1962年に岡三証券に入社し、取引所のフロアで独特のサインを駆使して売買注文を出す「場立ち」から市場でのキャリアをスタート。90年には株式部長に就任し、約9年間にわたってメディアの解説者やセミナー講師としても活躍。その後は岡三投資顧問、岡三アセットマネジメントを経て2010年から現職。長年の経験を生かした相場見通しや銘柄解説は評価が高い ◆「敗戦処理」に明け暮れた日々 岡三証券の株式部長に就任したのは1990(平成2)年4月だった。前年の12月に日経平均株価が3万8915円の史上最高値を付け、世の中は浮かれきっていた。大手証券会社からは5万円などという今から思えばとんでもない予想まで飛び出した。資産価値がどんどん高くなって給料やボーナスも増え、それが一段の株高につながっていたのだが、いったん崩れるとあっという間だ。 相場があれよあれよと下げ始めたのは92年のこと。証券各社が何度予想を切り下げても止まらず、日経平均はついに2万円の節目を割り込んだ。(損失が生じた)顧客に毎日頭を下げ続ける文字通りの「敗戦処理」となったが、それを乗り越えて99年まで株式部長を務められたのを誇りに思う。 岡三投資顧問に移った後に経験したのが99~2000年にかけてのIT(情報技術)ブームだ。コンピューターやインターネットの発達でネット企業に対する投資熱が高まり、自動車や機械といった「オールドエコノミー」から主役が交代していく動きを目の当たりにした。だが、ここでもバブルは起きた。 2つのバブルのけん引役はいずれも海外マネーによる先物の買いだった。日本で先物取引が始まったのはバブル終盤の88年でまだ歴史が浅く、先物を積極的に取引する国内投資家はまだ少なかった。今でこそ「海外の先物買い」はよく知られているものの、当時は姿があまりはっきりせず、気がつくと先を越されていた。特に個人がついて行けない。「高値づかみ」をした結果、相場の下落局面で痛手をこうむるのをたくさん見てきた。 ◆家計に巨額の貯蓄、投資余力は大きく 2008年のリーマン・ショックや12年以降のギリシャの財政不安などいくつかの危機を乗り越え、日経平均は昨年10月に2万4000円台と、27年ぶりの高値を付けた。90年代のバブル崩壊の傷がようやく癒えようとしているなかで「令和」の新時代を迎える。秋には消費増税を控え、働く世代の懐は苦しくなりそうだが、家計全体では依然として巨額の貯蓄を抱える。個人の投資余力は大きく、バブルはどこかのタイミングでまた繰り返されるだろう。 個人が平成初期のバブル時代に買った不動産や株などの資産価値は当時には到底及ばないため、売るに売れない状況が続きそうだ。ただそんな人たちも子供がいれば遠からず相続の時期が来る。相続する側は資産が含み損を抱えているとの認識は乏しい。特に不動産の現金化にはためらいはないだろう。 不動産や株の売却が進むと相場を一時的には押し下げるかもしれないが、懐の潤った個人は新たな消費や投資に動く可能性が高い。株式市場にも新たなお金を呼び込みそうだ。 しかも日欧を中心に世界はなおも歴史的な低金利環境にある。市中にあふれて行き場をなくしたマネーは株式などのリスク資産に移らざるを得ず、景気の悪化局面でもしばらくは株高を促すはずだ。 ◆過去に学び、転換点を見逃すな ジョン・テンプルトンが残した有名な相場格言に「強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、陶酔の中で消えていく」とある。リーマン・ショック後の米経済が長期回復をしながら先行き不透明感が残っているように、足元は「懐疑」に向かっている段階だと思う。株価の本格上昇は実はここからではないか。それでもバブルは必ず崩壊する。 日本の個人がまた負けないために大事なのは、過去の教訓に学んで相場の転換点を見逃さないことだろう。日々の動きは「あや」にすぎないと割り切り、相場が大局的にみて「上昇」、「横ばい」、「下降」のどの段階なのか冷静に見極めてほしい。そのうえで、自らの決めたルールに従って損失を確定させる潔さが必要だ。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)尾崎也弥 =随時掲載

平成・危機の目撃者⓫ 池水雄一が見た「有事の金」の復権(1999)

財政も将来も不安、ソブリンリスクに目向く 「有事の金」。その存在感が増したのは実はここ20年ほどの話にすぎない。1980年代に東西冷戦が終わった後、政治リスクが薄れたと判断した各国の政府・中央銀行はいざというときのために取っておいた金を売り続け、「金は石ころになる」とまで言われた。転機は99(平成11)年のワシントン協定だった。商品市場の生き字引で「ブルース」の異名を持つディーラーの池水雄一氏は「中銀による金の売却基準を厳しくしたこの協定がなければ金の復権はなかった」と振り返る。 池水雄一氏 いけみず・ゆういち  1986年上智大学外国語学部卒業、住友商事入社。90年からクレディ・スイス銀行、92年から三井物産の貴金属チームリーダーを務める。2006年に南アフリカのスタンダードバンク(現ICBCスタンダードバンク)東京支店副支店長に転じ、09年から支店長。元三和銀行(現三菱UFJ銀行)の外国為替ディーラーで現在は衆議院議員を務める今井雅人氏(本シリーズ➌に登場)は大学の同級生 ◆ワシントン協定で中銀の売却を制限 1989(平成元)年に1トロイオンス=400ドル程度だった金価格はワシントン協定を境に復活し、足元では1300ドル近辺で推移している。協定ができた99年といえば97~98年のアジアやロシア危機の余韻さめやらぬころだ。新興国を中心に財政赤字への懸念がくすぶっていた。 それまで長らく、中銀は金の最大の売り手だった。運用担当者が第2次世界大戦を知らない若い世代に代わり、「冷戦は終わったし金を持っていてもしかたない」との雰囲気がまん延していた。だがアジア危機などをへて、1970年代からの財政拡張で高まってきた国家のリスク(ソブリンリスク)に目が向かいやすかったのかもしれない。 協定では欧州各国の中銀が年間の売却量を計400トンに制限することになった。欧州系の中銀は保有している金の貸し出しもしていて、借り入れた鉱山会社などは先物の売りで価格下落のリスクを回避(ヘッジ)してきたがそれにも制約をかけた。協定締結まで緩やかな右肩下がりで、300~400ドル程度を行ったり来たりしていた金相場はにわかに底堅くなった。 世界に存在する金の総量はよく「オリンピックプール3杯半ほど」と表現される。一辺21.3メートルの立方体程度なのだという。限られたパイの中で最大のプレーヤーである中銀の売りを抑えれば、需給はおのずと引き締まる。 その後、2001年に起きた米同時多発テロは国際情勢の緊張感を再び高めた。世界は思ったほど平和ではない――。世界大戦や冷戦構造から局地的なテロが新たな脅威として意識されるようになり、「セーフヘイブン(安全資産)」として金のニーズが高まった。 ◆鉱山会社のヘッジ売りも止まる ワシントン協定は金鉱山会社の手足も縛った。金の先安観が強かった80~90年代の相場環境で、オーストラリアや南アフリカなど主要産金国の鉱山会社は中銀から安く借り入れた金を主な担保に数年先までの生産分相当額の先物を売ってきたが、中銀がなかなか金を貸してくれなくなったので市場から調達せざるを得ない。コストは上がる。ヘッジが機能しづらくなっていた。 ヘッジ戦略は相場の下落時に鉱山会社を守ってくれるが、先物売りが現物の売りに波及し値段をさらに下げる負の側面もあった。ワシントン協定はその悪循環を止める役割も果たしたわけだ。 しかも01年以降は「有事の金」復権で価格が上昇傾向に転じ、数年前に安い価格で積みあげた先物の売り持ち高には含み損が膨らむ。金価格の下落がこれ以上は見込めないとなると、各社は先物の買い戻しを急ぎ始めた。先物売りが減るだけでなく買い戻しが入る。買いが「倍々ゲーム」で広がるようなものだ。 ただディーラーの視点では「有事の金買い」にあまり踊らされないことが重要だ。紛争などが起きて投資家が我先にと金を買うと、必ず相場のオーバーシュート(行きすぎ)が起こる。短期的にはひとまず調整が入る「有事の金売り」を意識し、落ち着いたところで改めて買うスタンスが良いだろう。 平成の話ではないが例えば、1979年に発生したソ連のアフガニスタン侵攻。ニューヨークの金相場は200ドル台から850ドルまで急騰した後、すぐに押し戻されてきた。目端の利く投機筋は誰よりも早く持ち高を作ろうとし、イベントが人々の間で認知されれば利益確定を進める。そんなときは相場はいったん下がる。 ◆米中ロ、国際政治の不透明感を反映 2006~07年ごろから金の世界は変わってきたと感じる。08年のリーマン・ショックに続き、足元では英国の欧州連合(EU)からの離脱(ブレクジット)問題やトランプ米政権の登場などいままでの常識では考えられない事態が起き、資本主義の前提が崩れてきた。漠然とした将来の不安は解消しそうにない。「有事の金」の価格が200~300ドル台に戻る可能性はもうないだろう。 米国が金本位制を放棄した1971年の「ニクソン・ショック」からしばらくは金の大口保有者は米国とドイツなど先進国の中銀で、ワシントン協定まで金の売り手だったのは欧州勢だった。だが2010年ごろから中銀は金の買い手に転じている。中国やロシアなどが外貨準備として保有していた米ドルを売り、金の買いに傾いているためだ。米国との微妙な関係と国際政治の不透明感を映していると考えられる。 基軸通貨のドルを持つ米国は別の通貨を多く保有していてもしょうがないので外準に占める金の割合は現在も75%と突出している。その他の欧州各国の間に中国やロシアなどの「新参者」が割り込んでいく展開になってきた。 中国は世界1位の、ロシアは世界3位の金産出国でもあるため、市場で買わなくても金の保有割合を増やせる。近年はロシアが世界6位、中国は7位の金保有国に浮上した。ロシアが数年前にルーブル下落に苦しんだ際にどうにか持ちこたえられたのは、金の保有を多くしていたからとの指摘が聞こえてくる。 リーマン・ショック以降の米金融緩和政策の影響は大きかった。低金利の資金が行き先を求めて市中にあふれる構図は金に限らず商品相場全体に追い風だった。2012年に量的緩和第3弾(QE3)が始まったころ1600ドル台で推移していた金相場は、米連邦準備理事会(FRB)の出口政策が意識されると1200ドル台まで下げたが、19年に入ると今度は「緩和の終わりの終わり」が意識されている。金は再び上昇トレンドに戻ると予想している。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美 =随時掲載

平成・危機の目撃者➑ 大沢孝元が見たLTCM破綻(1998)

甘いリスク管理、はかなく散ったドリームチーム あんな偉人でも間違えるのか――。1998(平成10)年、通貨オプションのカリスマの一人で、ノーベル経済学賞受賞者でもあるマイロン・ショールズ氏が加わっていたヘッジファンドのロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻し金融工学系の市場参加者に衝撃を与えた。当時、社会人になったばかりの大沢孝元氏もその一人だ。為替のデリバティブ(派生商品)に長く携わってきた大沢氏は「LTCM事件をきっかけにリスクの正しい認識がいかに難しく、そして重要か分かった」と振り返る。 大沢孝元氏 おおさわ・たかもと 1998年に東京工大大学院の総合理工学研究科環境物理工学課程を修了後、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)に入行。ストラクチャラー・カスタマーディーラーとして市場経験を積んだ。2007年6月にバークレイズ銀行の東京支店に転じるとストラクチャー担当で頭角をあらわし、14年に市場営業本部長に就いた。18年1月からは東京外国為替市場委員会の副議長も務める ◆巨大な振幅が瞬時に拡大、理論は役立たず LTCMはショールズ氏のほか、ショールズ氏とフィッシャー・ブラック氏が作ったデリバティブの価格算出式「ブラック・ショールズ方程式」を証明により確立し、ノーベル経済学賞をとったロバート・マートン氏も参加していた。米連邦準備理事会(FRB)出身者もいて市場からは「ドリームチーム」と呼ばれていたが、97年のアジア通貨危機と98年のロシア財政危機が抱える潜在的なリスクを見逃した。 LTCMの基本戦略は、資産価格が割安か割高かを見極めて売り買いする「レラティブ・バリュー」。自らの資産の何倍にも運用額を膨らませるレバレッジ取引に傾いていた。にもかかわらずリスク管理が甘かった。 リスク回避(ヘッジ)は厳密にし過ぎるとパフォーマンスを下げてしまう。半面、しないと市場が予想と真逆に動いたときのダメージは計り知れない。 ブラック・ショールズ方程式は相場の動きを予測するモデルで、熱伝導に似た法則性を活用している。だが、危機時の相場は巨大なエネルギーが波のように振幅を伴って瞬時に広がる。ブラック・ショールズ式の理論が役に立たない。 強気一辺倒の場合はバブルを起こし反動は激しい。それを防ぐにはリスクを認識しヘッジ可能な環境が必要なのだが、90年代はリスク管理に使えるパラメーター(要素)が少なすぎた。 リスクをリスクと気づかない状況。リスクに気づけず膨らんだ持ち高はリスクの顕在化とともに破裂し、影響は倍どころか「乗数」で拡大していく。 例えば外国為替市場での円高・ドル安だ。98年10月7日の夕刻、突如円相場は1秒間に1円以上の速さで急伸し、持ち高の時価評価額はわずか数分で数千万円~数億円振れた。経験不足だったあのころは怖くて顧客の電話はとれなかった。 折しも日本は金融システム不安のまっただ中だった。97年の三洋証券を皮切りに銀行と証券会社の破綻が続いていて、生命保険会社の一部は身売りを迫られた。不良債権問題から抜け出せず長くもがいてきたが、それだけにリスク管理では先行できたかもしれない。LTCM破綻後の円の急伸を主導した日本マネーによる対外資産の圧縮は2008年のリーマン・ショックではさほど目立たなかった。 人は「のど元すぎると熱さを忘れる」という。リーマン・ショックにおける欧米の混乱は1990年代の危機を忘れてしまったのかと思わせた。対して日本はバブル崩壊からの立ち直りが遅れていたぶん、自分も含めてリスクへの感応度や耐性は磨かれていたかもしれない。 ◆市場の歪みは本物か、どれだけ続くか見極めを 通貨オプションなどのデリバティブを組み合わせて商品設計する「ストラクチャー」部門での営業経験が長い。すべての商品の基本はリスクとリターンは釣り合うということ。メリットが大きければリスクも大きいし、メリットが小さければリスクも小さいわけだ。 リスクとリターンを釣り合わせればどんな商品でも作れてしまう。うまみの大きな商品はそれなりのリスクを内包している。低リスクで高収益を生む商品は作れない。 そんな世界なので、売る側にも買う側にも高い倫理観と専門知識が求められる。もし市場に何らかのゆがみが存在し、デリバティブで利益を得るチャンスが高いと判断したとしても、本当にゆがんでいるのか、ゆがみがどの程度持続するかは常に意識しなければいけない。利益追求の意欲が先にたつあまり、実は自分たちの目のほうがゆがんでいたなんて話もずいぶんある。 相場にかかわる人はすべからく、「何を勉強してもプラスにしかならない」と日々研さんすべきだ。数年前にギリシャ危機が起きた際にはギリシャ関連の書物を読みあさった。電子ブローキング(EBS)の価格変化の背後に、ギリシャの先人が川辺で板を使って洗濯する光景が思い浮かんだほどだ。そこまでのめり込んではじめてわかってくることは少なくない。 ◆AIはまだ発展途上 ここ数年、市場をにぎわせている機械取引や人工知能(AI)の分野はまだ発展途上だ。いまAI活用の場とされているのは、90年代から続くパターン分析や回帰分析の延長にすぎない。大量のマーケットデータを集めた「ビッグデータ」を機械に学習させて将来を読み解こうとするアプローチは、マシンラーニング(機械学習)であってもパターン分析の域を出ていない。 確かに機械学習によってパターン予測はできる。期間や利益率、リスクの量といった項目を詳しく入力すると、短期的には効果をあげられるレベルには達した。誤解を恐れずにいえば短期の相場を支配するのは主に様々な「ノイズ」で、それをビッグデータから解析できると一定の成績はあげられる。 AI活用の次のステップは中長期の相場予測だろう。マーケットデータは様々な「多次元的」要素を上がるか下がるかの「1次元」につぶしてしまっているので、取り扱いには注意しなければならない。大量のデータを使ったとしても、現実に起こっている相場変動を完全には分析できない。 現実の相場は人々の思考や文化、宗教、欲望や営みまでが複雑に絡み合う。あらゆる情報は相場に反映される半面、逆はまだ現時点では真ではない。 最近は気象の勉強を始めた。やりたいことが多すぎて時間が全然足りない。データ処理とAIの進展で次に何が生まれるのか、楽しみだ。10年後、20年後に後れをとることのないよう頑張りたい。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)菊池亜矢 =随時掲載

平成・危機の目撃者➐ 松田邦夫が見たジャパンプレミアム(1990年代後半)

ニッポン信頼低下の象徴、疑心暗鬼の連鎖 バブルの後始末が始まった平成前半、金融市場では邦銀向け上乗せ金利「ジャパンプレミアム」の嵐が吹き荒れた。銀行や証券会社の不祥事と経営悪化が相次ぎ、日本の金融システム全体に対する海外からの視線が厳しくなった。誤った情報が疑心暗鬼の連鎖を招くケースもあった。1990年代後半に日銀で国際金融を担当し、海外向けの正しい情報発信に奔走してきた松田邦夫氏は「信用不安の恐ろしさと予防的対応の大切さを痛感した」と振り返る。 松田邦夫氏 まつだ・くにお 1980年に日銀に入行。90年代半ばに国際金融担当として、海外市場における邦銀の業務や国際的な金融規制動向をモニター(監視)する役割を担った。秘書室調査役(国会担当を兼務)を経てフランクフルトに赴任した際にもユーロの誕生から間もない欧州と日本の間の情報・認識ギャップを埋める努力をした。2009~10年には預金保険機構に出向し、預金保険部長として日本振興銀の破綻処理を担当。2013年に外為証拠金(FX)会社のセントラル短資FXの社長に就いた。趣味はクラシック音楽鑑賞と居合道。 ◆邦銀撤退相次ぐドイツ、率先して情報周知 日銀のフランクフルト事務所長を務めていた1998~2001(平成10~13)年は日本の金融システムに対する海外の見方が特に厳しかったころだ。邦銀の撤退が相次ぎ、現地で日本の事情を詳しく語れる人が減っていたので、日本についての誤解が一人歩きをしないよう奮闘する毎日だった。 97~98年の山一証券と北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の経営破綻の影響は大きかった。邦銀の情報開示やコンプライアンス(法令順守)と政策対応への不信は極限に達し、日本を代表する大手銀でさえ外貨調達に苦しんでいた。信頼低下の象徴といえるジャパンプレミアムが拡大する中で、現地の当局者と会ったりドイツ語で講演したりして情報周知に努めた。 邦銀も守りの姿勢一辺倒だったわけではない。危機後の邦銀の海外事業は縮小傾向ではあったものの、与信先企業の信用力だけに依存しないプロジェクトファイナンス(大型事業向けの融資)などに活路を見いだそうとしていた。それを日銀側からフォローできたのは貴重な経験だった。 折しも1999年、統一通貨ユーロ導入に現地で立ち会った。日本では、ユーロや欧州中央銀行(ECB)などに対して懐疑的な英米有力メディアの論調に引きずられがちなことがずっと気になっていた。その後のユーロ安も影を落としていたようだ。だがドーバー海峡を隔てて大陸側にいれば、ユーロが導入国の崇高な理念と固い意志によって生まれたもので、いかに膨大なエネルギーと英知が注がれているかは自明。ユーロ圏各国の中銀関係者と対話を深め、日本に正しい情報を伝えるのと同時に改めて日本国内の事情を理解してもらうようにした。 ※ジャパンプレミアム……バブル崩壊に苦しんでいた邦銀に対し、欧米の金融機関がロンドン銀行間取引金利(LIBOR)に対し求めた上乗せ金利。1995(平成7)年に大和銀行(現りそな銀行)ニューヨーク支店で発生した米国債の巨額損失事件をきっかけに急拡大し、信用力の劣る銀行では上乗せ幅が1%を超えた。信託銀行などは手持ちの円を元手に為替スワップを通じてドルを調達し、その裏返しで欧米銀はゼロ%に近い利回りで円を借りられた   足元でもジャパンプレミアムが発生し、欧米金融機関は低コストで円を調達できるが、1990年代とは様相が異なる。日銀のマイナス金利政策による運用難に伴い国内勢のドル志向が高まったためで、信用不安を背景にした動きではない。 ◆「保険屋」としても危機管理 2010年、預金保険機構の預金保険部長として、経営破綻した日本振興銀行に対して発動された日本初のペイオフ(全額保護上限を1000万円とする預金払い戻し)処理を担った。今のところ国内で唯一のペイオフ事例だ。振興銀は普通預金を持たない特異な事業モデルだったことから金融システム全体へのインパクトは薄かったとはいえ、社会的事件として世間の注目度は高かった。国民に預金保険制度を正しく認識してもらういい機会になった。国際金融担当だった時代の危機管理のノウハウはここでも生きている。 振興銀の処理をした後でも預金保険機構の資金プールは潤沢で、大きめの銀行が複数倒れても大丈夫なほどだったので、金融業界からは保険料率引き下げの要請が強まった。関係者と「金融機関破綻は本当に遠のいたか」といった議論をした末、私の離任後には実際に引き下げにいたった。こうした変化は、1990年代の危機から2008年のリーマン・ショックなどを経て、金融システム不安がようやく峠を越えた証しでもあった。 一方、日本の実体経済は低迷をなかなか抜け出せない。技術革新などを背景に産業構造が世界的に変わっているにもかかわらず、自動車など重厚長大の輸出産業に経済を支える役割を期待する構図が続いているからだろう。 リーマン・ショックが起きた当時は日銀の大阪支店にいた。サブプライム(低所得者層向け)ローンもリーマン・ブラザーズも日本から遠い存在なのに、関西でも経済人が皆「なぜ?どうして?」といぶかるほどに悪影響と不安が急速に広がった。「需要の蒸発」がグローバル化と産業構造の転換の遅れとも深く関係していることを再認識させられたのを覚えている。 リーマン・ショックや東日本大震災後の円高は、昔からある円高恐怖症を改めて強いものにしたのではないか。安倍晋三政権誕生の前後から円安の流れに変わったとはいえ、引き続き円高を国難に結び付けがちなメンタリティは構造改革を阻む要因のひとつではないかと思っている。 円高恐怖症とセットで、欧米の景気や金融政策に左右されやすい構図も続いている。ここにきて米経済の減速懸念から米連邦準備理事会(FRB)の利上げペースが鈍るとの思惑がにわかに浮上し、ECBの政策正常化観測も後退してきた。日銀としては一段と金利が下がったときの副作用を心配する声がある中で、今後は打てる手が限られるとの悩みを抱えているのではないかと感じる。 ◆必要な構造転換から目を背けるな 日本は少子高齢化の課題先進国。遠からずアジアも欧州も同じ問題に直面する。課題を逆手に取り、海外に先駆けてビジネス分野を切り開いていく余地は大いにある。医療・介護・健康はもちろん、資産や経験と知識、時間が豊富な層向けの商機拡大を望みたい。 日本経済のパイを広げるには、単純に移民を国内の労働市場に呼び込むよりも、まず日本人の労働参加意欲を高めていくことが肝要だ。女性や高齢者の労働参加率の上昇傾向からは、働きたい人が増加し、また働きたい人々を受け入れる労働環境が整ってきた様子が確認できる。勤労機会の拡大は将来的な年金不安を和らげて消費を促すだろう。 さらにグローバルに活躍する人や企業とともに、産業のソフト化に伴って付加価値が高く為替の影響を大きく受けない分野が育てば、円高のトラウマからも脱却できそうだ。 東京五輪や大阪万博などのイベントも確かに経済を活性化させるが、目先の需要掘り起こしだけに気をとられ、本当に必要な構造転換を先送りしてしまうリスクが残る。長期的な危機管理の視点を忘れず、課題から目を背けてはいけない。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)蔭山道子 =随時掲載

平成・危機の目撃者➏ 市東久が見た天安門事件(1989)

「有事のドル買い」の構図いまも 戦争や政治的な混乱の際に米国にマネーが向かう「有事のドル買い」は、1989(平成元)年の天安門事件まで定石だった。以後は米同時多発テロ事件や中国の台頭によって鳴りを潜めるが、市場では「基軸通貨であるドルの優位性は損なわれていない」との声が根強い。2018年にディーラー生活40周年を迎え、金利と外国為替の市場を縦横無尽に駆け続ける「生き字引」である市東久クレディ・スイス銀行東京支店長もそうみる一人だ。 市東久氏 しとう・ひさし  1976年に東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。78年から本店為替部の為替課でディーラーとしてのキャリアを開始。6年間のロンドン支店勤務中は、王立取引所で始まったロンドン国際金融先物取引所(LIFEE)の立会場の公認フロアトレーダーとして公開セリ売買方式での先物取引にも携わった。帰国後は国債トレーディング業務に従事し、ヘッジファンドを経て92年にクレディ・スイス・ファースト・ボストン銀行(現クレディ・スイス銀行)に移籍。金利裁定(アービトラージ)のディーラーとして短期市場ではその名を知らない人はいないほどの有名人で、今も現役で活躍。愛読書は新渡戸稲造の「武士道」 ◆「円買い」には違和感 1989年6月の天安門事件で円相場は1ドル=142円前後から150円をうかがう水準まで下げた。天安門広場で中国の民主化運動が武力で鎮圧され、学生のデモ隊に戦車が突っ込んだ映像は世界に衝撃を与えた。この少し前、ドルは緩やかな下落基調で、数億ドルものドルの買い持ちを抱えていた自分は苦しかった。過去に積みあげた「含み益」は毎日100万ドル単位で目減りしていく。天安門の後のドル高は苦境を打破できた点でも鮮明に記憶に残っている。 今のところこれを最後に有事のドル買いは起きていないが、構図が変わったわけではない。例えばもし朝鮮半島が有事となったら円はどうなるだろうか。地理的に近い日本の円を持ちたくないとの空気が広がり、大きな金融機関や投資家を中心に円を売ってドルを買う判断に傾いてもおかしくないとみている。 経済評論家などが最近「有事の円買い」を乱発しているのを聞くと違和感を覚える。有事とは、戦争など安全保障上の重大な危機が起きたときに投資資金が逃避先を探し回るような状況を指す。例えばどこかの超大国の主要都市にミサイルが着弾するといった強烈なインパクトを持つ事象だ。 現在の円買いは国際分散運用を手掛ける投資家が円の減価に備える目的で、資産の一部を整理して円に戻しているにすぎない。巨大な対外債権国の日本にお金が回帰しやすい面はあっても、有事のリスク回避に伴って円が買われているわけではない。こうした点をきちんと理解したうえで解説者は有事の円買いという言葉を使っているのだろうか。とても不安になる。 ◆流動性リスク対処、受け継がれぬ経験 風化のリスクは有事のドル買いに限らない。市場の混乱局面には経験豊富なベテランの存在が必要だが、足元では日銀の緩和長期化による市場縮小に見舞われた短期金融市場を中心に、ノウハウがまったく引き継がれず危機感を抱いている。具体的には流動性リスクへの対処だ。 1990年代後半の日本の金融危機を生き抜いたわれわれの世代は信用不安と流動性枯渇の恐ろしさが身にしみている。2008年のリーマン・ショック前後でもまずドルの手元資金を厚めにした。欧米金融機関がドルの調達に苦しみ、銀行間の取引金利が上がっていくとすぐにイメージできたからだ。 一方、大手米銀は為替フォワード(スワップ)を通じて日米金利差の拡大に賭ける取引を先行させた。ドルを直物で売って先物で買い戻すもので、これをするにはドル資金をきっちり確保しておかなければならないのにしていなかった。結果的にとんでもない高いコストでドルを借りるハメになり、大きな損失を出した。逆にドル保有者のこちらは1日で数百万ドルほどの利益を計上した日もある。経験の差が物を言った好例だろう。 日本の短期市場では資金が潤沢で金利のない世界が長期化し、人員を配置して大々的にディーリングをする必要がない環境が当たり前になっている。経験者や専門家がいなくても何とかなっているものの、それこそ有事で右も左もわからなくなるリスクと背中合わせだ。 日本が量的金融緩和政策を解除して3度目の利上げ(初回は2006年、2回目は07年2月)のタイミングを測っていた07年3月1日、日銀主催の短期金融市場フォーラムで外国銀行の代表として提言をした。当時の中曽宏金融市場局長(後に日銀副総裁、現大和総研理事長)とも日銀の出口政策に向けて意見を交わした。無担保コール翌日物金利が0.001%に張り付き、既に短期市場がしぼんでいたので、経験者を市場に呼び戻す重要性についても語り合った。 中曽氏とやりとりをしてからさらに10年以上がたった。日銀が異次元の緩和策に足を踏み入れるにいたり、事態は一層深刻になってきたようだ。 ◆緩和が長期化、難しい時代に 日銀が異次元緩和に踏み切る前のことだ。日本の銀行は国内の融資ニーズが細って収益を上げられなくなるので、いずれ海外シフトしてドル建ての投融資を増やすと想定していた。ただ欧米の短期金融市場で簡単には直接ドルを借りられない地方銀行などがドル調達のため、手持ちの円を売ってドルを買おうとすると、ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)比で0.80%前後も高い金利を払わなければならなかった。 ドル調達のコストが高すぎて運用しても収益を得られなくなったり、損失が出たりすれば投融資自体をやめざるを得なくなる。欧米銀が信用リスクを感じればドルを貸してくれなくなるかもしれない。ただでさえ米連邦準備理事会(FRB)が緩和からの「出口」に向かっているところだ。懸念は一昨年ぐらいから現実になり始めている。 数年前、前日銀総裁の白川方明氏と話をする機会があった。白川氏も自分と問題意識は一緒だった。貸出先を求めて海外へ打って出るとしても、資金調達やリスク管理のノウハウがなければうまくいかないだろうと心配していた。だが、経験はいっこうに蓄積されない。 1997年の金融危機の前の無担保コール翌日物金利は4%以上だった。2001年の量的緩和策の導入とともに0.001%になったとき、ものすごく小さな金利という意味で「ピーナツ」と海外の仲間にからかわれたのを覚えている。それがまさかマイナスになるとまでは当時は考えていなかった。 円金利単独での投資は基本的にはすることがない。フォワードで米金利の上下動に着目する戦略は引き続き有効だが、ドル資金の流動性の問題が出てくる。リスク管理の制約もきつい。 難しい時代になった。それでも有事にどう備えるべきかを常に意識しながら市場と向き合い続けたい。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)菊池亜矢 =随時掲載

平成・危機の目撃者➌ 今井雅人が見たアジア通貨危機(1997~98)

ドルペックがバブル助長、リーマン危機も同根 三和銀行(現三菱UFJ銀行)外国為替部門の大物ディーラーで鳴らし、剣道の達人でもある今井雅人氏は現役時代、研ぎ澄まされた勘で相場の転換点を察知し、アジア金融危機をもたらした新興国の過剰なドル調達や対米ドルの固定相場制(ドルペッグ)といった背景を見逃さず利益を出した。「おいしい話は永遠に続かない」。誰もが分かっているはずなのに、もうけたいとはやる心が先に立ってバブルを生んでしまう――。今井氏は「利益追求が市場参加者の目的である限り、危機は繰り返す」と断言する。 今井雅人氏 いまい・まさと 1985年に三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。89年から5年間米国のシカゴ支店で勤務し、通貨先物市場を通じて外国為替市場との関わりを深めた。三和銀と東海銀の合併で生まれたUFJ銀行のチーフディーラーを経て2004年に退職し、金融情報会社グローバルインフォ(現DZHフィナンシャルサービス)を設立。マットキャピタルマネジメント代表兼経済アナリストとしてい積極的に情報配信を続ける。09年から衆院議員を務め、現在4期目 ◆腑に落ちない値動きが虫の知らせ 成功体験を1つを挙げるとすれば、アジア通貨危機やロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)破綻などを受けて市場が混乱した1997~98年だ。98年の秋にはあっという間に20円近く円高・ドル安が進むなどかなり荒っぽく動いた。実は円高が加速する直前までずっとドルを買い持ちにしていたのだが、ふと居心地の悪さを覚えて円買い・ドル売り戦略に変えた。とたんに円は上昇し、1ドル=115円を大幅に超えたところで利益を確定できた。 なぜ持ち高をひっくり返そうと思ったか。タイミングについては虫の知らせとしかいいようがないが、予兆は感じていた。水準自体は1ドル=140円台で安定していたにもかかわらず値動きがかなりおかしかったのだ。 例えば1ドル=140円20銭で厚い円買い・ドル売り注文が控えているのにそれよりも円安の140円50銭で取引が成立した後、次の出会い値が再び140円20銭になるといった具合だ。外為取引は短い期間で資金交換を終えるため、無担保でお金を貸し借りする市場に比べると与信管理は緩い。それでも決済リスクなどを考慮し、経営基盤が弱そうな銀行とは取引しない。売りと買いのレートの逆転現象は特定の金融機関を巡る不安が水面下で広がっている状況を示唆しているのではないか。そう解釈した。 修羅場をくぐったディーラーには市場の空気をかぎ分ける力が備わっている。仲介業者(ブローカー)の声と電子トレーディングシステム(EBS)の取引画面が伝える生の注文状況や、次々と成立していく取引などの一次情報から投資家やディーラーが何を考えているのか、何が起こっているのかを判断していく。メディアやインターネットで流れる相場動向は二次情報でしかなく、重要度は低い。 1997~98年に話を戻す。当時のアジアはほとんどが成長途上の純債務国。金利の低い米ドルで資金を調達し、自国を含めた金利の高い国で運用して利息収入を稼ぐ「キャリー取引」に傾いていた。ドルペッグ制の下で、アジア通貨の対ドル相場は動きが鈍いとの前提にたつ危うい戦略だった。ひとたび投資家が運用資金を引き揚げると取り付け騒ぎのような状態に陥る。 タイから始まったマネー収縮は瞬く間に広がり、タイが変動相場制に移ると他の国も固定相場を維持できず、98年には多くがペッグ制を廃していった。傷を負った世界の金融機関や投資家は体力低下に苦しむ。それを察知した他の市場参加者は与信枠を絞り、EBSなどが示す値段の不可解さにあらわれる。 ◆2007年まだ危機感薄かった日米欧の金融当局 2008年にリーマン・ショックが起きたときはアジア危機とそっくりだと思った。07年の「パリバショック」から小康状態を挟み、本格的な金融危機にいたる2段階の構えは、タイバーツの暴落からアジア全体の危機に波及したころと似ていた。原油高で潤った中東などのオイルマネーがドルペッグ制をテコにドル建ての資産に流れ、低所得者向け融資(サブプライムローン)証券市場の過熱をもたらしたのもアジア危機前のキャリーブームを連想させる。 07年の冬に榊原英資元財務官(現インド経済研究所理事長)とニューヨークに出張した。前半は当時のガイトナー・ニューヨーク連銀総裁やサマーズ元財務長官など当局関係者や学者を中心に回った。日本の財務官だった篠原尚之氏(現東大教授)が後に振り返っている通り、日米欧ともに金融・通貨当局の危機感はまだ乏しく、市場の混乱を楽観的に捉えている印象を受けた。 半面、出張後半に訪れたゴールドマン・サックスやメリルリンチなどの投資銀行の幹部、ジョージ・ソロス氏といった著名投資家を回ると様子が違う。「金融機関の資金調達が難しくなっている」「何となくおかしなムードだ」との声が相次いだ。榊原氏とは「市場の混乱は止まりそうにない」との意見で一致した。 米政府の最大のミスはリーマン・ブラザーズをさっさと見限ったことだ。1つの銀行が倒れると市場は「次はどこか」と疑心暗鬼になり、短期金融市場を中心に取引が凍りつく。信用不安の怖さはアジア危機で身にしみていたはずだが、教訓を生かせなかった。数カ月前にベアー・スターンズを処理して安心したのだろうか。もしリーマンも救っていたら激震は食い止められたかもしれない。 ◆何事も永遠には続かない 危機はたいてい、みなが「大丈夫だろう」と慢心した後に起こる。言い換えれば誰もが「危ない」と警戒しているときには何も起こらない。昨年末から19年初めにかけて株式相場が急落すると、「19年の後半は危ない」との予想が増えたが、2月にかけて株高が再開した。本当の危機の芽は心理的な要素が濃く、目には見えにくい。 アジア危機やリーマン・ショック時は日米欧や新興国の間でだいぶ金利差が開いていたので、キャリーによるバブルの可能性を主にチェックしておけばよかった。だが足元では主要国の金融緩和と金融機関の規制強化によって金利格差を背景にしたカネの流れは細っている。傾斜は株式など他の資産できつくなっていると考えられるが、PER(株価収益率)の点などから判断すると株式相場がとんでもなく割高とまではいえないのが実情だ。ではリスクの芽はどこに潜んでいるのか。 個人的に気になるのが中国の不動産市場だ。深センなどの新興地域に向かうと不動産価格の異常さに驚く。日本円で500万円だった土地がわずか数年で2億円に達するぐらいの上げ幅を普通に記録している。この部門が崩れると怖い。ただ中国では不動産も株も手掛けるといった総合投資家が少なく、株の相場には不動産ほどの熱は感じられない。このままいくとしばらくは中国が大崩れすることはないだろう。 2018年初めにかけての仮想通貨ブームも既に去り、金融・資本市場への影響も薄れた。一時は国境をまたいでの通貨機能に期待が増えていたが、主権国家における通貨発行権は極めて重要なものだ。もし侵害されれれば政府・中央銀行はただちに規制するだろう。しかも仮想通貨は存在そのものに決定的な矛盾を抱えている。決済手段としての通貨は価格安定が不可欠なのに、投機資金で市場を活性化させるには変動がないといけない。 おそらく危機は、我々がいま把握していない場所から発生するのだろう。改めて肝に銘じておきたいのは、何事も永遠には続かないということだ。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)菊池亜矢 =随時掲載

証券営業の凄腕たち【Episode2】下げ相場の時こそ逃げずに信頼築く

証券営業の凄(すご)腕担当者に情報収集や銘柄選別の戦略を聞くシリーズの第2回はSMBC日興証券のプライベート・バンキング(PB)部の部長、中村佳代さん。会社で16人の部下を束ねながら、家では4人の子の母親でもある。入社以来リテール営業の最前線で経験を積み、現在も自ら企業経営者ら主に個人富裕層の顧客に接する。中村さんは「相場急落時こそ逃げずに顧客と信頼関係を築くのが大事」と強調する。 SMBC日興証券 中村佳代氏 なかむら・かよ  1991年和洋女子大卒、日興証券入社、95年に出産を機に一時退職するも2000年7月に復職、16年3月浦和支店長を経て17年3月に現職の上場企業経営者など富裕層を担当するプライベート・バンキング第三部長。入社以来、リテール営業を担当し、これまで社長賞10回。東京都出身   ――市況が悪化したとき、顧客にどのような対応をしていますか。 「株式相場は数分で高値からストップ安まで落ちてしまうこともあるため、営業担当者には即応性も必要です。相場が悪くなっても状況の報告を怠るなど、少しでも『逃げ』の姿勢を見せるとお客様にすぐ気づかれます。株価が暴落したり金融緩和の可能性がある場合には、朝からすぐに連絡を入れ、なるべく早めに債券を押さえるなどのリスクヘッジ策を提案するようにしています」 「一方で市況が悪化したとき、割安になったから買いたいという方も結構いらっしゃいます。値崩れしたときに、どの程度の投資を希望するか個々のニーズを知っておき、それに応じてご案内できるようにしています」 顧客と一緒にイスラエルのAI企業を訪問 ――リスクが高いときに投資しやすい商品にはどんなものがありますか。 「債券は基本的にデフォルトしない限り満期になれば資金が全額戻ってきます。ある程度の安全性を確保できる一方、発行体や通貨、金利の条件など様々な種類があり、市場の動きに敏感に反応する価格変動の激しい商品でもあります。市場の状況によってはチャンスをつかめる商品も多いです」 「主要な指標でもある米国債は過去の長期金利と債券価格の動きを見比べると、ある程度法則性が見えてきます。それをもとに債券価格に動きはないか確認したりしています。社債は発行企業に悪いニュースが発生すると価格が大きく動き、機関投資家などが手放すものも出てきます。よりディスカウントな条件で取得できるこうした商品に興味を持つ方もいます」 ――日ごろ、環境変化のリスクに備えてどのような投資をするといいでしょうか。 「まず分散投資を勧めます。たとえば業績や配当利回りがいい優良銘柄を割安なときに確保しておいたり、為替が1ドル=100円を切ったときにドルを購入しておいたりなど、自分の水準を決めて余裕資金で投資しておくといいでしょう。何かあったときにキャッシュでほかのものを買えるというポジションを持っていてほしいです」 「リーマン・ショック時のようなひどい状況でなければ、悪い相場局面でも何かしら反比例するようにいい方向に動く商品があるものです。安全資産として持っていたものが大きなキャピタルゲインを生み出す商品に変わっていたりすることもあります。支えてくれるものがあるのとないのでは投資に対するモチベーションや安心感が違います」 ――企業経営者などの顧客はどのような投資分野に関心をもっていますか。 「人工知能(AI)などの先端技術で今後、成長が見込まれる企業はどこかといった点に興味を持っている方が多いです。先日はお客様と一緒にAIの研究開発が進んでいるイスラエルの企業を訪問し、今後の戦略を聞いてきました。M&A(合併・買収)などの可能性も含め飛躍的な成長の可能性がある会社があるなら投資したいというニーズが増えており、プライベート・エクイティ(未公開株投資、PE)ファンドなどへの興味も高まっています」 「少し前にはオーストラリアなどへの投資も多かったですが、やはり米国への投資に興味を持たれている方は多いです。世界的企業が多く、規模の大きさやほかへ与える影響が違います。リスク管理として一部だけでも日本円以外の通貨への投資も必要だと思う人が増えてきており、米ドルを基に何に投資したらいいかという問い合わせが増えています」 結婚、育児など経て商品提案に「ひらめき」 ――これまで4人の子供を育てながらどのように仕事と家庭を両立させましたか。 「限られた時間の中で仕事をしなければいけないので、会社の計画や相場環境、家族の用事などすべてを頭に入れたうえで、1~2週間先までのスケジュールを細かく立て、ある程度自分のやりたい仕事のイメージをつくっていました。それでも子供がいるとスケジュールは相場以上に崩れます。そういうときに周りの人が状況を理解して助けてもらえるように日ごろからいい関係をつくる努力をしてきました。チームに迷惑を掛けない最低限の仕事は必ずやり遂げつつ、自分に時間があるときには他の人の仕事を手伝うようにしました。ありがたいことにみんな協力してくれました」 「結婚して子供ができ、保険や家計を見直すなど自分の経験が増えていくと、お客様の気持ちや考えが以前よりよく理解できるようになりました。出て行くだけでなかなかたまらないお金の大切さもよくわかり、お預かりする資産に対する責任感も増しました。経験をもとに営業現場でのひらめきも増えたような気がします。たとえばお孫さんへの相続を考えた場合、何十年も先のことなので日本円よりも外貨建てで金利が高い商品の方がいいのではないかなど、それぞれの事情に応じて商品を提案できるようになりました」 「お客様を知ることが何より重要」と中村さんは話す。営業担当者には当たり前のことかもしれないが、中村さんは次元が違う。相場観から好きな食べ物まで顧客のあらゆることを把握することで、顧客に合った商品がひらめくという。顧客の好みに合う商品を作れないかと会社に掛け合ったこともあったそうだ。「縁あってお客さんと巡り会えたのだから役に立つことがあれば頑張りたい」という中村さんは、家庭では大学2年生から下は中学2年生の4人の子供の母として、毎朝4時半に起きて家事をこなし家族の要望にも応える。家族を思いやる真心で顧客と接する姿勢が、抜群の営業成績に表れているように思えた。〔日経QUICKニュース(NQN) 神宮佳江〕 =随時掲載します

HFT隆盛で変質、外為市場は元には戻らず  by 花生浩介氏(シリーズ:ベテランに聞く)

外国為替市場の主要プレーヤーや取引形態は1980~90年代に比べると激変した。コンピューターや人工知能(AI)の発達で高頻度取引(HFT)が幅をきかせる時代になり、2008年のリーマン・ショック後に規制強化が進んだ影響もあってどんな場面でも腰を据えて売り買いの価格を示す「マーケットメーカー」は姿を消した。日本興業銀行(現みずほ銀行)や香港上海銀行(現HSBC)で30年以上為替ディーリングに携わった花生浩介氏は「HFTによって売買高自体は増えたが、市場の流動性はむしろ減少した。もう元には戻らないだろう」と話す。【聞き手は日経QUICKニュース(NQN)=菊池亜矢】 花生浩介(はなお・こうすけ)氏 1980年に日本興業銀行入行。84年から為替ディーリングの道を一貫して進む。2001年にロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)東京支店で外国為替部部長、06年から香港上海銀行に移り外国為替本部長とマネージングディレクター。17年にバルタリサーチを設立し個人の目線からマーケット情報を提供する傍ら、トレーニング用品やソフトウエアを扱うスポーツ関連企業フィットネスアポロ社の社長 ■混乱時のパニック増幅しやすく 現在の市場の主役はAIをバックにしたHFTだ。HFTはふだんはマーケットメーカーのように振る舞って相場の値動きを決める半面、混乱時にはいっせいに手を引き、パニックを増幅してしまう。いざというときには頼りにならない。責任感をもって市場機能を維持する真のマーケットメーカーがいない現在の外為市場は、市場メカニズムの是正といった自らの優れた機能を大きく損ねている。市場は事実上しぼんでしまったといっていい。 ディーラーの駆け出しのころ、日本はバブル絶頂期だった。金融危機の前で金融機関や投資家のリスク許容度は極めて大きく、いまでは考えられない大金が活発に動いていた。現在に比べるとはるかに小さい規模の市場の中で、30歳代にかけての5~6年は朝から夜中まで顧客の注文に応じて価格を出し続けた。 ときには大きなリスクも取ったが、ポジションの保有時間は長くて5分、下手をすると5秒で回転させて「流動性」を供給してきた。回転売買に徹していた気がする。結局はそれがリスクヘッジになっていたかもしれない。当時は自分よりも巨額の持ち高を振り回し、マーケットメーカーの役割を果たすディーラーがごろごろいて市場全体が活気づいていた。 ■ポンド危機の攻防に息のむ 忘れられないのは1992年の9月。英国がジョージ・ソロス氏率いるヘッジファンドの英ポンド売りに耐えられず、欧州の為替相場メカニズム(ERM)離脱を決めたころだ。ある日、東京市場でイングランド銀行(英中央銀行)がポンド防衛のため、日銀に委託してポンド買い・円売り介入をしたと噂された。一方、ロンドン市場でソロスファンドは売り崩しを続け、他の投機筋も追随し英ポンドは暴落した。 投資家が中央銀行に歯向かうなどということは通常は考えられない。だがERM離脱によって英国の金利は大幅に低下し、通貨安もあってその後の英国経済は回復に向かった。政府・中銀の無理な政策を市場メカニズムが是正した好例といえ、ファンド勢の動きに感心したのを覚えている。 コンピューターの草創期で取引記録は完全には機械化できず、損益も手計算でリアルタイムでの把握は難しかった。それが不正やミスの温床になったわけで、昔を懐かしんでもしょうがない。ただコンプライアンス(法令順守)強化など規制でがんじがらめになった結果、市場のダイナミズムは間違いなく失われた。 「毎日が戦争」の感覚で混乱の極みのような生活を続けていたにもかかわらず、疲れたとか嫌になったとかの記憶はない。大きな損失を抱え途方にくれたことは何度もあったが、ディーリングは結果がすべて。学歴も派閥も関係ない極めてフェアな世界で奮闘できたのは幸せだった。 外為市場はスポーツに例えると、地元の野球少年がメジャーリーガーと一緒にプレーするようなもの。「伝説のディーラー」と呼ばれる人は尊敬できる人が多く、いつか自分もそうなりたいと励みになっていた。理屈やデータの通りに動くコンピューターやAIの時代はそれはそれでフェアなのかもしれないが、淡泊すぎる。 ■大局観を忘れずに そんな中でも為替でディーリングを続けるとすればどんなスタンスで臨むべきだろうか。とりあえずは世界の大まかな流れを忘れないようにしたい。 ニューヨークで勤務した1990年代後半は米経済が絶好調だった。政策を担っていたのはグリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長とルービン財務長官、サマーズ財務副長官という最強トリオ。折しもWindows95が発売になり、IT(情報技術)化の波が押し寄せていた。業種を問わずパソコン導入が加速した。米国のバロンズ誌が毎年出す景気予測で、エコノミストらの「好景気は続かない」という主張がことごとく外れていく。それまでと違うレベルで設備投資の革命が起きていると感じた。 「本場」に身を置くことで近視眼的な見方から離れ、大局観を得るのは大切だ。インターネット全盛の現代はネット経由で様々な情報を入手できるが、それでも「百聞は一見にしかず」の真理はまったく変わらない。 リーマン・ショックを境に産業の主役が金融からITに移ったことも重要だ。金融はITと親和性が高く、リーマン・ショック前までは最先端の技術を誇る業界だった。しかし、金融危機後は名だたる金融機関が公的資金で救済され金融規制に縛られると業界全体が萎縮した。現在はアップルやグーグルなど大手IT企業の取り組みのほうがずっと面白く金融は背中を追いかける格好になっている。金融とITをあわせた「フィンテック」でファイナンスは前だが、実際にはITの後じんを拝しているとの印象が否めない。 足元のAI活用はコンプライアンス違反を避けるためとの後ろ向きな理由もある。機械なら基本的に不正はしない。ヒューマンエラーによる訴訟リスクを抱え込まずに済む。金融は徹底的にリスクを抑える方向になり、生産性を抑えた。 ■次の活路は新興国市場に AI活用の大きな流れはおそらく止められない。万難を排して最先端の技術革新をもう一度金融に取り入れないと、金融業界の復活はないだろう。 金融が他の産業と異なるのは決済をつかさどっている点だ。決済は最も大切な社会インフラの1つで、多額の資金を安定的に決済することで社会全体の安定を下支えする。流動性や安定性は他の産業とは比較にならないほど大切で、流動性を担保する意味は大きい。1回あたりの取引金額から考えてもリスクが取りにくい環境になっているはずなのに、機械化以前のほうがリスクが少なかったように思えるのは昔のほうが流動性が厚かったからだろう。 昨年初めにかけて仮想通貨がブームとなったが、投機性だけに焦点が当たると通貨としての必然性は失われる。為替を含めた決済システムを仮想通貨の基幹技術「ブロックチェーン」に変えるといった話でも、市場流動性を確保する方向に持っていくなどの努力を忘れてはならない。 昨年の「トルコリラショック」などを振り返ると、新興国では短期金融や為替市場が未整備で、為替差損リスクヘッジの手法や投資情報など主要国では当たり前のインフラがまだ整っていないと痛感した。新興国経済は世界全体の約半分を占めるまでに拡大しているのに金融市場は脆弱で、流動性は異様に低い。 裏を返せば、新興国市場での流動性創出は金融業界に残された数少ない課題だ。経済成長率が1~2%の先進国でできることはほとんどなく、もはやリターンも期待できない。次の活路は新興国に求めるべきだろう。 (随時掲載)

チャート、それは森羅万象を表すもの by 井上英明氏(シリーズ:ベテランに聞く)

「チャートは過去の出来事をすべて織り込んだうえでいまの位置にいる」。「筋金入りのチャーティスト」を自認する三菱UFJ信託銀行資金為替部の井上英明部長は自分がこれだと決めたチャートを追い続けることで相場を理解し、好成績を収めてきた。バブルの崩壊や金融危機などを無傷で乗り切るのは困難だが、井上氏は「森羅万象をあらわすチャートから相場動向を的確に語れるようにしたいといつも心がけている」と話す。【聞き手は日経QUICKニュース(NQN) 金岡弘記】 井上英明(いのうえ・ひであき)氏 1989年に三菱信託銀行入社、主に為替ディーラーとして東京やロンドンでキャリアを積む。2015年から3年間は秘書室長として市場業務から離れていたが18年に復帰 ■短期から長期まで、毎朝200以上に目を通す 外国為替市場に20年ほどかかわってきた。一時は欧米債投資や(年金などの)信託勘定の運用にも携わったが、為替トレーディングの経験が圧倒的に長い。若いときには手書きでチャートをつけた。現在は情報端末の画面上でいくつものチャートを開き、できるだけ細かくチェックする。 駆け出しのころ、社内に「ギャン・チャート」と呼ばれるチャート分析の日本における第一人者がいた。入行4年目から彼の指導を受け、長期休暇にも毎日徹夜で「宿題」をしなければならないほど徹底的にノウハウをたたき込まれた。 チャート分析で意識するのは「トレンド」と「日柄」(相場が上昇か下落を始めてからの日数)などで、手で書いて体に覚え込ませた。現在はビッグデータの時代だが、過去のデータ解析に重きを置きすぎるとトレンド把握の際には漏れが出てくると思う。 チャートの利点はすべての事象が価格に織り込まれていまの位置にいること。そこを意識してチャートを眺めると、次にどういったトレンドになり、どう推移するかがよく分かる。 カスタマーディーラーだったときはチャートだけで顧客を納得させるのは難しかった。チャート以外にも視野を広げ、機関投資家と輸出入企業の需給や金融政策、政治要因や地政学リスクなど相場の基本的な変動要因を頭に入れておいた。現在相場を動かしている材料や、まだ相場水準に反映されていないものの今後注目を集めそうなもの探し出し、チャートベースの基本予想に付け加えることで説得力を高めていく手法をとった。 この経験は大いに役にたった。判断基準をいくつか持つことは相場に飲み込まれないためには重要だろう。 いまも毎朝、最低200以上のチャートのチェックは欠かさない。最初は2週間分程度の時間足チャートで昨晩の海外市場や短期的なトレンドを把握する。次に1年分をみて短期トレンドの中の位置を確認する。最後に5年分の月足チャートで長期トレンドを理解する。 ただ実際には、長期トレンドをしっかりとらえるには5年では足りない。リーマン・ショックからでも10年がたつ。30年などのより長いチャートもあわせてウオッチすることで今後の予測につながる。 ■システム任せは危険 マーケットに関する法令上の規制が年々厳しくなり、市場参加者の顔ぶれはだいぶ変わった。以前は東京市場にも積極的にリスクをとる参加者が多く、緊張感や臨場感に満ちていた。一方、足元ではコンピューター経由の取引が主流。外資系金融機関ではスポット(直物)取引のディーラーを置かない会社もある。 コンピューターは平時は流動性を供給するものの、無用な損失を避けるためにあまり冒険できないセッティングになっている。何か異常事態が起こればいっせいに手を引き、すぐに市場が凍りつきかねない。日本時間の1月3日早朝7時30分すぎ、ドルの対円相場で起きた「フラッシュ・クラッシュ」(瞬時の急落)は象徴的だ。システム任せにするリスクは十分に考えておかなければならないだろう。 リーマン・ショックのように市場全体が混乱した際、誰が流動性を供給できるのか。人がやっていたことをシステム化し省力化するのは結構だが、リスクに対応可能な次の世代を育てる責任がわれわれにはある。システム化する一方で、人間が関わる余地は保っておかなければならないと考えている。 ■危機の時こそ相場を語るのがプロ 危機の時こそ相場を語れ。誰もが浮足立っているところで市場関係者として冷静に物事を語るのは難しいが、マーケットを生き抜こうとするならば避けては通れない。 記憶の中に2つの出来事が鮮明に残っている。まずは2001年の年末。円相場が1ドル=120円台から上昇傾向を強め、100円突破を試した。10人中9人は100円を大幅に超える円高になると予想していたはずだ。だが私はチャート分析で2ケタ台へ上昇せず反転すると確信し、顧客にも円安見通しを示し、的中させた。 もう1つはリーマン・ショック時にドルが対円で急落すると当てたことだ。1998年のLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)破綻に伴う危機(ドルは対円で暴落)を経験し、下げ相場では二番底が怖いと実感していた。リーマン・ショック時に一度円安・ドル高に振れたが、経験則と肌感覚から短期的に10円以上の円高になると思い国内輸出企業や外貨を持つ投資家などに円買い・ドル売りを促すメールを送った。間を置かずに円は急伸した。 自慢話をしたいのではない。危機の時に情報発信できないなんてプロとして失格だということだ。リーマン・ショックを知らない若手などの生き字引となって、危機の際にしっかり荒波を乗り切れるチームでありたいと常に意識している。 足元はまだレンジ相場だ。レンジ相場はつまらないが、個人投資家は相場の流れに逆らう逆張り戦略でコツコツと収益を積みあげながらチャートのセンスを磨き、自らの「型」を作って次の大きなトレンドをつかみたい。 いろいろなチャートを眺めて長期トレンドを抑え、どっしりと構えて流行に一喜一憂しない。それが(機関投資家のように期間ごとの収益に左右されない)個人にとって最も大切だろう。 (随時掲載)

原油相場、波乱の11月 リーマン・ショック以来の下げ、月間▲22%

11月30日の米国市場で原油先物が反落し、WTI期近の1月限は1.01%安の50.93ドルで終えた。WTIは月間で22.01%安となり、2カ月連続で大幅続落。月間の下落率は、月間の下落率は、リーマン・ブラザーズが2008年9月に経営破綻し、金融市場が大荒れとなったリーマン・ショックのさなかの同年10月(32.62%安)以来、10年1カ月ぶりの大きさとなった。12月6日の石油輸出国機構(OPEC)総会で協調減産が見込まれているが、需給改善を期待する買いは限定的で波乱の11月相場となった。 米商品先物取引委員会(CFTC)が公表している投機ポジションで、WTI原油先物のネットロングは9週連続で減少し、11月27日時点で34万8121枚のネットロングとなった。2017年7月3日以来、1年4カ月ぶりの低水準となり、WTI原油先物が1年1カ月ぶりの安値水準にある中、投機ポジションの解消が続いている。(片平正ニ) ※QUICKデリバティブズコメントで配信したニュースを再編集した記事です。トレーダーやディーラー、運用者の方々へ日経平均先物・オプション、債券現物、先物を中心に旬のマーケット情報をお伝えしています。ライター独自の分析に加え、証券会社や機関投資家など運用・調査部門への独自のネットワークから情報を収集し、ご提供しています。

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