じりじり土俵際のドイツ銀 本業悪化で株価最安値、今度はトランプ疑惑

欧州金融大手ドイツ銀行が株価低迷から抜け出せない。20日のフランクフルト市場でドイツ銀株は続落し、過去最安値を更新した。本格的な業績回復が見通せないなか、足元ではトランプ政権幹部との不適切な取引を巡る疑惑が報じられ、底入れの兆しが見えない。 20日のドイツ銀株は前週末比2.89%安の6.645ユーロで終えた。売りのきっかけとなったのは、スイス金融大手UBSの投資判断の引き下げだ。これまでの「中立」から「売り」に見直し、向こう1年間の目標株価も7.80ユーロから5.70ユーロに引き下げた。低金利下で経営環境の改善が見込めないことなどを判断引き下げの理由としている。 コンプライアンス(法令順守)を巡る疑惑も重荷だ。米紙ニューヨーク・タイムズは19日、「トランプ米大統領の娘婿であるクシュナー上級顧問の事業に関する複数の取引を巡り、2016年と17年にドイツ銀のマネーロンダリング(資金洗浄)の専門家が連邦当局への報告を薦めたが、同行幹部は受け入れなかった」と報じた。ドイツ銀、トランプ氏ともに報道を否定しているが、市場の懸念は完全には払拭されていないようだ。 4月にはコメルツ銀行との統合交渉が破談となり、独自の経営再建へのハードルは高まる。ドイツ銀の株価は過去半年で2割下落し、独DAX指数(9%高)とは対照的な値動きとなっている。世界全体で見ても今年に入り、株価が戻り基調となるなか、ドイツ銀株の独歩安の様相が強まっている。 〔日経QUICKニュース(NQN) 矢内純一〕 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

荒ぶるビットコイン、投機マネーが翻弄 流動性の乏しさは不変

インターネット上の仮想通貨ビットコインの変動が再び大きくなってきた。ドル建て価格は4月初めの1ビットコイン=4000ドル台から今週に入って8300ドル台とわずか1カ月で倍になり、ここ数日は数百ドル単位での上下動が目立つ。仮想通貨市場の厚みや取引の自由度を示す「流動性」は法定通貨に遠く及ばない。一部の投機資金が手掛けるまとまった規模の売り買いに振り回されやすくなっている。 ビットコインの急伸局面では欧米ヘッジファンドなどの投機筋による空売り持ち高の解消がささやかれた。一連の動きは主要な投機戦略である「リスク・パリティ」に似ている。 リスク・パリティでは株や債券などの保有資産の持ち高をボラティリティー(変動率)の高さに応じて変えていく。ビットコインの空売りは厳密にいえば資産ではないが、ボラティリティーの強弱が持ち高形成や整理を促す点では同じだ。2019年に入ってコインの採掘者(マイナー)などからの「投げ売り」が収まって相場の反発色が増すにつれ、空売りファンド勢は17~18年初のような上昇方向への変動率の高まりを意識せざるを得なくなったようだ。 そんな中でトランプ米大統領が対中関税を強化する姿勢を示し、米国株の変動性指数(VIX)先物の売りに傾いていたファンドなどを動揺させた。小回りの利くヘッジファンドには仮想通貨を組み込んでいるところが少なくない。欧米主導の株安でリスクをとる余裕がなくなり、コインの買い戻しを促しやすかった面もある。 ドルを基軸とする法定通貨の取引は100万ドル(約1億1000万円)単位が基本だ。市場が厚い円やユーロの対ドル取引では、コンピューター経由の高頻度取引「HFT」が1000分の1~100万分の1秒単位で100万ドル規模の売買を繰り返す。一方、発行量が限られ流動性は上がりにくい仮想通貨は、ブームだった18年初にかけてでさえ機械取引の参入は厳しかった。 HFT全盛の先進国通貨の取引では一日で少なくとも数兆ドル(数百兆円)のお金が行き来するとみられている。これに対し、情報サイトのコインマーケットキャップなどによると仮想通貨の日々の売買高は1000億ドル台まで膨張してきたが、算出に用いられる交換業者のデータには「水増し」疑惑がつきまとう。売買増が投機の持ち高整理主導なら市場参加者の裾野は広がっていないことにもなる。 足元では「安全資産としてのビットコイン」「分散投資の対象としての仮想通貨」といった声も出ている。今後、法定通貨と同様に先物やスワップ市場の整備が進み、機関投資家や企業の利便性が高まる可能性が意識されている。だが巨額の資金をコンスタントに受け入れ続けられるほどの流動性はすぐには望めない。価格変動リスクも大きい。その点は心しておくべきだろう。 【日経QUICKニュース(NQN ) 編集委員 今 晶】

消えゆくLIBOR㊦ 検討委の松浦議長「システム対応、少なくとも1年」

2018年8月に発足した「日本円金利指標に関する検討委員会」はこれまでに6回の会合を開いた。LIBORの公表停止に伴う今後の課題やリスクについて、検討委員会の議長を務める三菱UFJ銀行経営企画部の松浦太郎部長に聞いた。 ――現在の検討委員会の進捗状況や課題を教えてください。 「そもそも金利指標という単語自体が一般になじみが薄い。半面で様々な金融取引や金融サービスに指標金利が利用され、膨大な取引契約の内容が指標に左右されうる。LIBOR公表が仮になくなった場合に向け、どういうことに備えなければならないのか、金利指標のユーザーを含めて多くの主体が委員会に参加して好ましい方法を検討中だ」 「決済などのインフラや商慣行を整えていく必要もある。まずはLIBORの公表停止の可能性が高い点やその影響の大きさを多数の人に理解してもらうことが重要であり課題だ。備えをしっかり進め、公表停止に向けた混乱の抑制が望まれる。指標を使った取引が円滑にできなくなるのを避けるためにも、共有された理解を下地に、今後予定している市中協議には積極的に意見を出してもらいたい」 ――システム対応などの準備期間はどのくらい必要でしょうか。 「まず知っておいてほしいのは、21年末で必ずLIBORの公表が止まるとは現時点で誰にも言えないことだ。監督当局のFCAは停止権限を行使すると明言しているわけではない。そのうえであえて21年末をXデーと仮定すると、1年以上は準備期間が必要だろう」 「現在の金利指標と違うものを利用するならシステムや事務上の対応が不可欠だ。金融機関各社によって対応は異なるため、いつまでに準備できれば大丈夫だとははっきりとは言えないが、少なくとも1年はかかるだろうとの認識だ」 ――どんなことを想定しておかなければならないでしょうか。 「『ニワトリが先か、卵が先か』の話だが、LIBORに代わる指標をより多くの人が使い始めればそれが一般的な指標として認識されるようになってくる。また、いつの段階と一義的には述べられないが、代替指標が浸透するのと裏返しに、LIBORを使った取引市場の厚みがだんだんなくなっていくということもあるのではないか」 「LIBORの取引が薄くなると既存のLIBOR取引の解消が難しくなっていく可能性には注意が必要だろう。タイミング次第ではLIBORでの取引自体がリスクとなりかねない」 「今後、(中長期の金利スワップなどで)21年末越えの取引が自然体で増えていくであろうことにも留意しなければならない。深刻度は時間とともに増す」 「LIBORに代わる指標に切り替える対応の一つの形態として、LIBORが公表されなくなったときの代替指標金利などの要件をあらかじめ契約に定めておくフォールバックという枠組みがある。だがこの形態を採ると、仮にLIBOR公表停止が21年末となった場合、実際のフォールバックに伴う契約変更の確認やシステムへの記帳、付随する決済が一斉に実施されることになる。金融機関などとの話し合いのなかでもフォールバックを待つより、新規契約を最初から代替の金利指標で締結するほうが好ましいと伝えていくつもりだ」 ――住宅ローンなどへの影響はどうでしょう。 「円LIBOR絡みの市場はドルに比べると規模が小さい。相対的にみれば影響は大きくならないだろう。一般的に国内の住宅ローンなどはLIBORを利用したものは多くないと認識している。ローン関連での契約への影響の範囲は限られそうだ」 「ただ金融機関が自社で提供する金融サービスのなかで、直接LIBORを契約に利用していないか、また、間接的であっても金融商品を評価する際に利用していないかなどきちんと確認しなければならないだろう。契約の相手方としっかりコミュニケーションを取り、利用者側もいま一度どういう契約を結んでいるかを確認するなど、互いに慎重な事前対応を進めてほしい」 〔日経QUICKニュース(NQN) 菊池亜矢〕 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

消えゆくLIBOR㊤ 迫るXデー、代替の指標金利へ準備待ったなし

金利指標として広く利用されているロンドンの銀行間取引金利(LIBOR)の公表が2021年末以降、止まる可能性が高まっている。LIBORは10年代に不正操作問題に巻き込まれ、監督当局である英金融行為規制機構(FCA)のベイリー長官は「公表継続は難しい」との認識を示す。国内でも貸し出しや債券など円LIBORを参照とした金融取引は多く、指標金利の移行に備える動きが広がってきた。 英金融安定理事会(FSB)がまとめた資料によると、円のLIBORを参照指標にした取引は14年3月時点で30兆ドル(19年5月14日の円相場の水準である1ドル=109円台半ばで換算すると約3286兆円)にも達する。金利スワップやシンジケートローンといった専門性が強い取引に主に用いられるが、企業向けの貸し出しや社債の発行条件などで「6カ月物の円LIBORプラス○○%」といった具合に使われるケースも多い。 もしLIBORの公表が止まるとどうなるか。関連取引の条件を決められなくなり、利息の受け渡しなどに不都合が生じるだけでなく、金利変動リスクの管理が困難になる。 日本では18年8月、日本銀行金融市場局を事務局とする「日本円金利指標に関する検討委員会」が設立された。ここが示しているLIBOR公表停止に備えるうえでのポイントは(1)新しい金融取引でLIBORに代わるどんな指標を利用していくか(2)既存のLIBORを参照した金融取引をLIBOR公表停止時にどうするか(フォールバック)――の2点だ。 (1)の代替指標については無担保コール翌日物金利に基づいた新たな指標や、既存の東京銀行間取引金利(TIBOR)が選択肢となる。(2)は契約当事者の間で、参照金利をLIBORから変更する枠組みにあらかじめ合意しなければならない。 金融仲介の基礎となる金利指標の行く末は金融機関だけではなく、金利指標を金融取引で利用する事業法人や機関投資家にも影響しそうだ。LIBORはドルやポンドなどの他の主要通貨でも関連取引が膨らんでいる。国内でもドル建ての金利スワップなどで関わりが深く、今後はそれらの通貨建てのLIBORに関しても動向を注視していく必要がありそうだ。 〔日経QUICKニュース(NQN) 矢内純一〕 =㊦で「日本円金利指標に関する検討委員会」の松浦太郎議長のインタビューを掲載 ※QUICKでは22日、LIBORの公表停止に対する市場参加者の理解を深める目的のセミナーを開き、日本銀行金融市場局市場企画課の大竹弘樹課長と「日本円金利指標に関する検討委員会」の松浦議長(三菱UFJ銀行経営企画部部長)が基調講演する。LIBOR公表停止などをテーマにしたパネルディスカッションも開催される。

トルコリラ下落、エルドアン氏の利下げ圧力意識 FX買い後退

国内で外国為替証拠金(FX)取引を手掛ける個人投資家「ミセスワタナベ」によるトルコリラの需要が後退している。代表的な高金利通貨であるリラはミセスワタナベの重要な運用先だが、同国のエルドアン大統領による利下げ圧力が影を落とす。トルコ中央銀行の政策スタンスやトルコ国内の政治情勢の先行き不透明感などから買いを抑える動きが出てきた。 トルコリラの対円相場は6日の海外市場で一時1リラ=18円ちょうど前後と年初来の安値圏に沈んだ。トルコ最大の都市イスタンブールで市長選のやり直しが決まり、投機的なリラ売りを促したためだ。一方でこの日は、ふだんは相場の流れに逆らう「逆張り」の買いで臨むミセスワタナベの反応は鈍かった。 FX大手の外為どっとコムによると6日、リラの買い持ち高は前営業日の3日比で約5%減った。リラ買いは日本の10連休の直前である4月24日に急増した後は減少傾向で、6日の数字は1割程度細った計算になる。市場では「4月24日のリラ買いは25日にリラをすぐ売れば10日分の金利収入が得られるとの戦略からで、積極的に為替リスクをとろうとしたわけではない」との指摘が多い。 トルコ中銀は4月25日の政策声明で金融引き締めに関する文言を削った。折しもトランプ米大統領の対中関税の引き上げ表明を受けて米中貿易摩擦への懸念が再燃している。利上げをけん制し続けるエルドアン大統領の存在も意識され、市場参加者の間では「遠からず金利引き下げの選択肢が出てくる」との警戒感がくすぶる。 イスタンブール市長選の再実施決定はそんな中で起きた。もしエルドアン氏率いる与党・公正発展党(AKP)が勝利を収めれば大統領の気勢は上がり、利下げが現実味を帯びるのではないか――。リラの下値不安はすぐには消えそうにない。 【日経QUICKニュース(NQN)今晶】 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

平成・危機の目撃者⓯ 香月康伸が見たリーマン・ショック(2008)=最終回

震源地はいつもクレジットバブル 背後にはいつもクレジット(信用)バブルがあった――。リーマン・ショックをもたらした米国のサブプライム(低所得者層)向けローン市場の混乱など、平成の世界を揺さぶった危機はおおむね信用バブルが震源地になっている。1997(平成9)年に経営破綻した山一証券の出身で、現在は投資銀行部門の市場調査を手掛けるみずほ証券の香月康伸シニアプライマリーアナリストは「これからも『すべての道はクレジット商品に通ず』だ」と話す。       香月康伸氏 かつき・やすのぶ 1989(平成元)年に山一証券入社。証券営業の後、英国留学し帰国後は債券部でリサーチに携わる。山一の自主廃業に伴って98年に興銀証券(現みずほ証券)に移り、国内外のクレジット市場と公的部門、ストラクチャードファイナンスを中心に調査業務を続け、2014年にはプロダクツ本部のプライマリーアナリストとして発行体向けリサーチ活動を始めた。19年4月からサステナブル・ファイナンス室SDGsプライマリーアナリストを兼務 ◆レバレッジ追求、マネーの総額が実体経済の3.5倍に 平成の約30年間で、実体経済の規模をはるかに上回るお金(マネー)が市場に出回るようになった。世界の金融資産の総額と名目の国内総生産(GDP)のバランスは1980年ごろはほぼ均衡していたが、日本のバブル期の90年には金融資産が名目GDPの2倍を超えた。リーマン・ショックが起きる前年の07年には3.5倍程度まで膨らんだ。 借り入れを併用し運用資産を膨らませていく「レバレッジ」をここまで追求できた時代は過去にない。大量のマネーがファンドや証券化商品に流れていくのを横目に「ファンド資本主義」なる言葉も生まれた。その延長線上でサブプライムローンの市場が膨張し、ベアー・スターンズやリーマン・ブラザーズを巻き込んで破裂にいたったのは自然な流れといえるだろう。 ファンド資本主義という言葉が生まれた当時、「ニューキャピタリズム」と呼ばれる考え方も出てきた。融資先が破綻すれば金融システム全体を動揺させかねないとの伝統的な思想に対し、ファンドを通じて世界中から資金調達できればシステムは安定し、危機は発生しにくくなると主張するものだった。 企業が成長資金としてマネーを求めるのではなく、マネーが投資対象として企業を求める。過剰流動性が我も我もと投資先を取り合ったために企業の債務不履行(デフォルト)率は確かに下がり、世界的な低金利環境も背景に投資残高は積み上がった。だがいずれ限界は来る。信用膨張が極限まで進んだときに起きたのがリーマン・ショックだった。 ◆「北極星」が動くほどの衝撃 米国のサブプライムローン債権は様々な形で証券化された。市場参加者のほとんどは「(証券化商品が抱える)リスクは全部分散しているから大丈夫」と安心しきっていたが、右肩上がりと思われていた米住宅価格の上昇が止まり、(住宅価格の上昇を前提としていた)サブプライムローンの仕組みの根幹が崩れるとマネーの逆回転が始まる。 そのころ、金融保証会社(モノライン)が最上格のトリプルA格を失った。モノラインは金融市場の関係者にとって北極星のようなもの。情勢判断をするうえでの重要な支点となる。モノライン格下げは北極星の位置が動いたぐらいの衝撃だった。余剰資金の大きな受け皿となっていた米住宅市場とその証券化商品が発火点になり、危機的状況に陥った。 リーマン・ブラザーズの破綻で世界を金融不安が覆うと、銀行支援に乗り出さざるを得なくなった欧州各国の財政は悪化する。体力のない国への投資家の視線は厳しくなっていき、南欧諸国との格差問題など、ポピュリズムの台頭のきっかけにもなった。 うねりは新興国にも波及し、マネーの還流を伴いドル高が進行。金融システム不安と全く関係のなかった日本の円にも「低リスク」とみなす買いが入り、円高を通じて実体経済が打撃を受けてしまう。 ともあれ様々なイベントの中心には常にクレジットがいた。平成はそんな時代だったわけだ。 ◆社債発行市場は20年余りで成熟、確実に前進 山一証券が1997年に自主廃業をしたときには債券のディーリングルームにいた。日本の社債市場元年はこの97年と考えている。97年と98年の2年間で、実に20兆円もの起債があった。 97年は中堅の三洋証券が無担保コール市場でデフォルトし、次いで北海道拓殖銀行が倒れた。そして山一だ。金融不安の中で株価は下がり、景気も悪くなっているのに企業はなぜ資金調達をしようとしたのか。10年ほど前のバブル最終局面で発行された大量の新株予約権付社債(転換社債=CB)が満期を迎え、借り換えのニーズが高まったためだ。 エクイティ(株式)のファイナンスはできず、銀行も金融不安のなかで融資に応じる余裕はない。残された選択肢が社債だった。国債比での金利の上乗せ幅は相当なものだったが結果的に、それまで電力債が大半だった日本の社債市場に様々な業種の発行体を呼び込み、年限の多様化が進んだ。99年にはノンバンク社債法施行や普通銀行の社債発行解禁などもあり、市場はおおいに盛り上がった。 間接金融が主体の日本市場では米国などに比べると社債市場の規模はまだ小さい。だが足元では、40年の社債発行も一般的になるなかで三菱地所による50年債が出てくるなど、成熟度は高まりつつある。確実に前進はしていると感じている。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美 =おわり

平成・危機の目撃者⓮ 大西知生が見た外為指標不正の真実(2013)

信用失墜の瀬戸際、取引ルール作りに奔走 巨大な外国為替市場では参加者の利害関係が極めて複雑だ。しかも相対取引が中心のため長年、明確なルールがないままの「なれ合い」体質がまん延していた。国際ルールが固まったのはつい最近の2017(平成29)年。きっかけは13年、10年代前半まで繰り返されてきた外為指標の不正が発覚したことだ。ルール作りに奔走し「Mr.FXJapan」と呼ばれた大西知生氏は「あそこで動かなければ外為市場は瀕死(ひんし)の状態に陥ったかもしれない」と振り返る。       大西知生氏 おおにし・ともお 1990年に慶大経済学部を卒業し東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。その後はチェース・マンハッタン銀行(現・JPモルガン・チェース銀行)やドイツ銀行グループで為替市場にかかわり、2017年12月まで東京外国為替市場委員会の副議長として国際ルールの整備にあたった。現在は仮想通貨(暗号資産)交換業への参入を目指すFXcoinの代表取締役社長 ◆なれ合い体質まん延、顧客無視のディーラーも 2010年代前半、金融・資本市場では2つの大きな不祥事が起きた。一つは世界の企業向け融資や、金利スワップなどのデリバティブ(金融派生商品)の基準となるロンドン銀行間取引金利(LIBOR)を巡る談合問題。12年、欧米大手銀の担当者が自らに利益になるようレートを決めていたことが発覚した。もう一つは13年に明らかになった為替指標の操作疑惑だ。欧米金融機関の一部の為替ディーラーが顧客から受けた注文に関する秘密情報を共有し、決済に絡む指標を操作しようとしていたとわかった。 疑惑発覚前の外為市場には取引規範として明文化されたルールがなかった。大手自動車メーカーがいくら売っている、機関投資家がいくら買っているといった情報があふれ、ディーラーたちが大手顧客の注文に便乗し売買をするといった顧客無視の動きがあった。いまでは禁止されている「見せ玉」などを駆使して収益をあげるのが良いディーラーとさえ思われていた。モラルの高いディーラーはなかなか利益を出せない不公平な状況も生じていた。 外為指標の不正はそうした不公平感や不満が吹き出す引き金にもなったほか、不祥事の責任が個人に対して追及されたために世界中のトレーダーは萎縮し、疑心暗鬼の連鎖によって日々の取引量は目に見えて細った。ルール作りは待ったなしだった。 ◆日本主導でガイドライン、バイサイドを説得 関係者が多岐にわたるとあって道のりは平たんではなかったが、日本がリーダーシップをとってどうにか合意にこぎ着けた。まず東京外国為替市場委員会は「外国為替ガイドライン」を作り、情報共有などについて具体例を挙げながらディーラーができること、できないことを「○」「×」形式で示した。例えば具体的な取引先名や、特定の水準にいくらの注文が控えるかなどは伝えてはならない。 東京を含む主要8カ国・地域の外為市場委員会の代表が東京に集まり2015年3月に開催された「外国為替市場グローバル会合」でこのガイドラインを公表すると、○×方式は分かりやすいと高く評価された。17年5月に国際決済銀行(BIS)が明らかにした「グローバル外為行動規範」でも同じ形式が採用になった。内容は日本に近い。外為業務の国際ルールをようやく一本化できた。 ガイドライン作成にあたってまずは国内の大手銀行、証券のマネジャーたちを集めて会合を開いた。すると「ガイドラインの通りに業務をするともうからなくなるからと反対」との声があがった。半面、自分の部下であるドイツ証券のスタッフには「ガイドラインよりもさらに厳しく律するぐらいにしてほしい」と指示した。顧客の一部は「ドイツ証券は情報をくれなくなった」と離れていった。 ガイドラインを作っても使ってくれる人がいなければ意味がない。大手製造業、商社、機関投資家などの「バイサイド」にも理解してもらわなければならなかった。東京外為市場委員会のメンバーはバイサイドと何度も議論した。 当初は「外為市場の改革というが、そもそもセルサイド(銀行や証券などのセールス部門)が悪いことをしたのが原因。その結果ルールを厳しくしたから情報提供などのサービスクオリティーが低下するのでは納得がいかない」と不満をぶつけてくるバイサイド幹部もいた。それでも市場の健全化はセルサイドだけでなくバイサイドも恩恵を受けるのだと粘り強く説明し、理解を得た。 一方、指標関連の不祥事をもたらしたヒューマン・リスク(人間のトレーダーを置くリスク)を完全に消し去るのは難しい。このところ急速に進んでいるコンピューター取引や人工知能(AI)の活用拡大はこと外為市場では避けられないだろう。感情をもたない機械取引はプログラムに沿って淡々と動くので、恣意的な不正はしない。記録も取りやすく顧客への説明責任を果たせる。 ◆今度は仮想通貨、実需拡大に期待 外為市場で自分ができることは一通りできたかなと思っていたところに仮想通貨と出会った。「外為市場のルール作りをした大西さんのような人が仮想通貨業界にもいたらいいのに」と周囲に乗せられる格好で転身を決めた。「仮想通貨は人々の生活を豊かにする」と確信した当時の思いは変わっていない。 17~18年初めのようなバブルが再び起こる可能性は低く、国際送金などにおける仮想通貨の利用を模索する企業は増えている。バブルを起こした投機取引の熱は冷めたが、決済などに絡む「実需」が拡大すれば、必要なインフラとして世間の認知度が増すだろう。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)尾崎也弥 =随時掲載

平成・危機の目撃者⓭ 八尾和夫が見たマイナス金利政策(2016)

「黒子」日銀のあるべき姿を問う まもなく「令和」の時代が幕をあける。一方、日銀は長短金利操作付きの量的・質的金融緩和を粘り強く続ける構えで、終わりが見えない。日銀で高松や仙台の支店長を歴任し、現在は東京証券信用組合の理事長を務める八尾和夫氏は「突然のマイナス金利政策は日銀マンだった私も本当に驚かされたが、日銀の政策がここまで世の中を騒がせるのは過去になかった」とサプライズ続きだった平成終盤の政策対応に戸惑いを隠さない。 八尾和夫氏 やお・かずお  1975年に日本銀行に入行し、留学、北京勤務などをへて人事局研修課長や情報サービス局広報課長を務める。98年1月から高松支店長、2002年5月から仙台支店長を歴任後、05年6月に全信組連の専務理事に転じた。11年6月に中央労働金庫の常勤監事に就いた後、15年6月から現職 ◆あっという間に崩れるのがマーケット 日銀のマイナス金利政策には参った。導入が決まった2016年から我々が手掛ける証券金融の世界にまで、新たな収益源を求める地方の銀行などが参入してきた。我々よりも低い貸出金利を提示し、利ざやは縮まった。 半面で資金需要はさほど刺激されず、貸し出しの量は増えない。単純に金融機関の利ざやを落とす「効果」ばかりが目立つ。金融機関の経営者は業態にかかわらず軒並み頭を抱えているはずだ。 金融緩和の出口はいずれ来る。スムーズに着地できればよいが、株や債券など金融市場の先行きに気をもむ市場関係者は少なくない。だからといって今の時点で運用をゼロにするわけにはいかず、株買い、債券買いの持ち高は膨らんでいく。転換点で起きる衝撃が大きくならないよう願うばかりだ。 きっかけは何にせよ、あっという間に崩れるのがマーケットの歴史だ。日本人が9割保有しているから問題ないといわれる日本国債であっても安心してはいられない。 ◆政治に振り回されている ここ数年は一般のメディアでも日銀の一挙手一投足を追いかけているが、こんなに日銀に関心が高まることはかつてなかった。金融政策は本来、世の中が過激な方向に傾かないよう調整したり、時間稼ぎをしたりするものだ。日銀は黒子のように、任せておけば知らないうちにうまくやってくれる、そういう信頼される存在であって欲しい。 1998年4月の日銀法改正は「大蔵省本石町出張所」(日銀本店の住所は日本橋本石町)とも称された日銀に、きちんと権限と責任を持たせて独立させるべきだとの機運が高まったからだ。では日銀は一体どこを見ることになったか。国民とその代表である国会だった。それ自体はあるべき姿なのかもしれないが、昨今はかなり政治に振り回されている感じがする。 昭和の時代は首相ですら(当時の政策手段である)公定歩合に触れるのはご法度だった。それも今は昔。日銀には、短期的な視点に偏りがちな政治とは距離を置き、中長期的な観点から政策を打ち出すことが本来は求められているのではないか。 ◆「デフレ脱却」は何を示すのか、「物価上昇」で何を目指すのか 日銀の中には2つの広報部門がある。マスコミ向けの対応をする専門部署の企画局広報と、マスコミを除く広報業務を手掛ける情報サービス局だ。 日銀も主体的に自ら発信をしていこう――。90年、国内外に向けての情報発信や外部からの問い合わせや要望などの窓口となる情報サービス局ができた。97年にホームページの開設にこぎつけ、スクリーンに映るパソコン画面を示しながらの記者発表では「画期的な仕組みだ」と感嘆の声があがった。 97年といえば北海道拓殖銀行や山一証券など大きな金融機関が相次いで破綻に追い込まれた。情報サービス局には「日銀の政策が悪いからではないか」と直接お叱りの電話がかかってきた。それでも開かれた日銀を目指そうとの姿勢は変わらなかった。 98年1月に赴任した高松支店長時代は、日銀に対する幅広い理解を得ることの大切さを痛感した。四国地方では都市圏ほどバブルの後遺症はなかったもののさまざまな金融不祥事が報じられるなか、日銀への風当たりもかなり強かった。「豪華すぎる」と批判を受けた支店長舎宅を引き揚げるとテレビのワイドショーにも取り上げられた。 仙台支店長を務めていた2002年、金融再生プログラムが発表され急速な不良債権処理が進むなか、「銀行も破綻やむなし」といった雰囲気が広がり続け、株価も急落した。03年にりそな銀行への公的資金注入が決まり、ようやく株価は底を打ったが、経済の先行きは読めない。地元経済界との懇談などで何と説明したらよいのか本当に苦しく、体調を崩してしまったほどだ。それでもいろいろと考えを巡らし、自分の言葉で語り続けた。 当時、政治は株価が上がると「政策が良かったから上がる」と都合のいいようにアピールし、株価が下がると「マーケットはマーケットが決めるから仕方ない」という。政治の動向も、相場決定の重要な一因となるはずだが……。 ところで「デフレ脱却」とはいったい何を示すのだろう。単なる貨幣現象なのか、経済活動の本質そのものなのかが曖昧に聞こえる。物価さえ上がればよいというものではなく、経済の活性化を通じて潜在成長率を高めることが大切だろう。 令和の時代に向け、より長期的で総合的な政策を展開していってほしい。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美 =随時掲載

4日で230億円の損 売り出しのトラウマ招くかんぽ株

親会社の日本郵政(6178)が売り出したかんぽ生命(7181)株が23日、投資家の手に渡った。きょうの始値(前日比横ばいの2204円)は売り出し価格(2375円)を171円(7%)下回った。申し込み最終日からわずか4営業日しか経っていないにもかかわらず、売り出し株数ベースでは含みと実現の合計で約230億円の損が一時的に生じた計算だ。投資家にとってトラウマとなりかねないディールとなった。 22日時点の時価総額は1兆3200億円。4日の発表から1300億円以上減少した。とりわけ、投資家による申し込みと、幹事証券による株価買い支え、いわゆる「安定操作」が終わった17日以降の下落率が7%と目立つ。 株価純資産倍率(PBR)は0.6倍台、配当利回りは3%台だ。投資妙味の点で売り叩く理由は見当たらない。需給要因としか考えられない。 市場では「売り出し株を引き受けた個人が早々に見切り売りに動くと踏んで、機関投資家が先回り的に売ったのではないか」との声が聞かれる。だが、株価は上場来安値まで残り1割あまりの水準に沈み、大半の少数株主は含み損を抱えているはずだ。機関投資家が思惑で損切りするとは思えない。日本証券金融はかんぽ株の貸株の申し込みを制限しており、空売りも難しい。 一つ、可能性として考えられるのは、売れ残りを抱えた引き受け証券会社による処分売りだ。 売り出しでは通常、投資家は売り出し価格決定までの需要申告(ブックビルディング)期間中の購入希望は証券会社に申し出ればキャンセルできるが、売り出し価格決定後の正式な申し込みのキャンセルは受け付けられない。 引き受け証券が売れ残りを抱えたのだとしたら、ブックビルディングが不調だった可能性が高い。ただし、そうだとすれば、売り出し価格決定日の終値から最大10%まで可能だった売り出し価格を決める際の割引率が4%にとどまったのはなぜかという疑問が残る。 主幹事の1社の大和証券は「個別の案件には答えられない」(広報部)としている。 かんぽ株の売り出しを巡っては、自社株買い直後に売り出し価格を決めるやり方に、当初から「分かりにくい」と戸惑う声が多かった。3月の任天堂(7974)株の売り出しでは、売り出し価格決定後に自社株買いが実施された。任天堂株の売り出しの引き受け主幹事は、かんぽ株の主幹事には入らなかった野村証券だった。任天堂は売り出し価格を上回って推移している。 エクイティ(株主資本)による資金調達の成否は投資環境に左右される面が大きい。とはいえ、「投資家の利益の先に市場や証券会社の発展がある。売り出し人も発行体も証券会社も時代遅れの供給者論理に傾いてはいないだろか」。最近の株式市場での資金調達について、あるベテランの市場関係者はこう話していた。 【日経QUICKニュース(NQN) 編集委員 永井洋一】 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

平成・危機の目撃者⓬ 伊藤嘉洋が見たバブル崩壊(1992)

市場の宿命、令和の時代も必ず起きる 平成の日本はバブル崩壊とその後始末に追われた。海外でも1997(平成9)年のアジア通貨危機や2008年のリーマン・ショックに直面し、18年にはインターネット上の仮想通貨ビットコインなどのバブル崩壊が起きた。それらの出来事が示すのは、投資家が利益を追求する限りバブルは避けられないということだ。株式市場にかかわって今年で57年、酸いも甘いも知る大ベテランの伊藤嘉洋・岡三オンライン証券チーフストラテジストは「バブルは次の令和の時代でもまたやってくる」と断言する。 伊藤嘉洋氏 いとう・よしひろ 1962年に岡三証券に入社し、取引所のフロアで独特のサインを駆使して売買注文を出す「場立ち」から市場でのキャリアをスタート。90年には株式部長に就任し、約9年間にわたってメディアの解説者やセミナー講師としても活躍。その後は岡三投資顧問、岡三アセットマネジメントを経て2010年から現職。長年の経験を生かした相場見通しや銘柄解説は評価が高い ◆「敗戦処理」に明け暮れた日々 岡三証券の株式部長に就任したのは1990(平成2)年4月だった。前年の12月に日経平均株価が3万8915円の史上最高値を付け、世の中は浮かれきっていた。大手証券会社からは5万円などという今から思えばとんでもない予想まで飛び出した。資産価値がどんどん高くなって給料やボーナスも増え、それが一段の株高につながっていたのだが、いったん崩れるとあっという間だ。 相場があれよあれよと下げ始めたのは92年のこと。証券各社が何度予想を切り下げても止まらず、日経平均はついに2万円の節目を割り込んだ。(損失が生じた)顧客に毎日頭を下げ続ける文字通りの「敗戦処理」となったが、それを乗り越えて99年まで株式部長を務められたのを誇りに思う。 岡三投資顧問に移った後に経験したのが99~2000年にかけてのIT(情報技術)ブームだ。コンピューターやインターネットの発達でネット企業に対する投資熱が高まり、自動車や機械といった「オールドエコノミー」から主役が交代していく動きを目の当たりにした。だが、ここでもバブルは起きた。 2つのバブルのけん引役はいずれも海外マネーによる先物の買いだった。日本で先物取引が始まったのはバブル終盤の88年でまだ歴史が浅く、先物を積極的に取引する国内投資家はまだ少なかった。今でこそ「海外の先物買い」はよく知られているものの、当時は姿があまりはっきりせず、気がつくと先を越されていた。特に個人がついて行けない。「高値づかみ」をした結果、相場の下落局面で痛手をこうむるのをたくさん見てきた。 ◆家計に巨額の貯蓄、投資余力は大きく 2008年のリーマン・ショックや12年以降のギリシャの財政不安などいくつかの危機を乗り越え、日経平均は昨年10月に2万4000円台と、27年ぶりの高値を付けた。90年代のバブル崩壊の傷がようやく癒えようとしているなかで「令和」の新時代を迎える。秋には消費増税を控え、働く世代の懐は苦しくなりそうだが、家計全体では依然として巨額の貯蓄を抱える。個人の投資余力は大きく、バブルはどこかのタイミングでまた繰り返されるだろう。 個人が平成初期のバブル時代に買った不動産や株などの資産価値は当時には到底及ばないため、売るに売れない状況が続きそうだ。ただそんな人たちも子供がいれば遠からず相続の時期が来る。相続する側は資産が含み損を抱えているとの認識は乏しい。特に不動産の現金化にはためらいはないだろう。 不動産や株の売却が進むと相場を一時的には押し下げるかもしれないが、懐の潤った個人は新たな消費や投資に動く可能性が高い。株式市場にも新たなお金を呼び込みそうだ。 しかも日欧を中心に世界はなおも歴史的な低金利環境にある。市中にあふれて行き場をなくしたマネーは株式などのリスク資産に移らざるを得ず、景気の悪化局面でもしばらくは株高を促すはずだ。 ◆過去に学び、転換点を見逃すな ジョン・テンプルトンが残した有名な相場格言に「強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、陶酔の中で消えていく」とある。リーマン・ショック後の米経済が長期回復をしながら先行き不透明感が残っているように、足元は「懐疑」に向かっている段階だと思う。株価の本格上昇は実はここからではないか。それでもバブルは必ず崩壊する。 日本の個人がまた負けないために大事なのは、過去の教訓に学んで相場の転換点を見逃さないことだろう。日々の動きは「あや」にすぎないと割り切り、相場が大局的にみて「上昇」、「横ばい」、「下降」のどの段階なのか冷静に見極めてほしい。そのうえで、自らの決めたルールに従って損失を確定させる潔さが必要だ。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)尾崎也弥 =随時掲載

平成・危機の目撃者⓫ 池水雄一が見た「有事の金」の復権(1999)

財政も将来も不安、ソブリンリスクに目向く 「有事の金」。その存在感が増したのは実はここ20年ほどの話にすぎない。1980年代に東西冷戦が終わった後、政治リスクが薄れたと判断した各国の政府・中央銀行はいざというときのために取っておいた金を売り続け、「金は石ころになる」とまで言われた。転機は99(平成11)年のワシントン協定だった。商品市場の生き字引で「ブルース」の異名を持つディーラーの池水雄一氏は「中銀による金の売却基準を厳しくしたこの協定がなければ金の復権はなかった」と振り返る。 池水雄一氏 いけみず・ゆういち  1986年上智大学外国語学部卒業、住友商事入社。90年からクレディ・スイス銀行、92年から三井物産の貴金属チームリーダーを務める。2006年に南アフリカのスタンダードバンク(現ICBCスタンダードバンク)東京支店副支店長に転じ、09年から支店長。元三和銀行(現三菱UFJ銀行)の外国為替ディーラーで現在は衆議院議員を務める今井雅人氏(本シリーズ➌に登場)は大学の同級生 ◆ワシントン協定で中銀の売却を制限 1989(平成元)年に1トロイオンス=400ドル程度だった金価格はワシントン協定を境に復活し、足元では1300ドル近辺で推移している。協定ができた99年といえば97~98年のアジアやロシア危機の余韻さめやらぬころだ。新興国を中心に財政赤字への懸念がくすぶっていた。 それまで長らく、中銀は金の最大の売り手だった。運用担当者が第2次世界大戦を知らない若い世代に代わり、「冷戦は終わったし金を持っていてもしかたない」との雰囲気がまん延していた。だがアジア危機などをへて、1970年代からの財政拡張で高まってきた国家のリスク(ソブリンリスク)に目が向かいやすかったのかもしれない。 協定では欧州各国の中銀が年間の売却量を計400トンに制限することになった。欧州系の中銀は保有している金の貸し出しもしていて、借り入れた鉱山会社などは先物の売りで価格下落のリスクを回避(ヘッジ)してきたがそれにも制約をかけた。協定締結まで緩やかな右肩下がりで、300~400ドル程度を行ったり来たりしていた金相場はにわかに底堅くなった。 世界に存在する金の総量はよく「オリンピックプール3杯半ほど」と表現される。一辺21.3メートルの立方体程度なのだという。限られたパイの中で最大のプレーヤーである中銀の売りを抑えれば、需給はおのずと引き締まる。 その後、2001年に起きた米同時多発テロは国際情勢の緊張感を再び高めた。世界は思ったほど平和ではない――。世界大戦や冷戦構造から局地的なテロが新たな脅威として意識されるようになり、「セーフヘイブン(安全資産)」として金のニーズが高まった。 ◆鉱山会社のヘッジ売りも止まる ワシントン協定は金鉱山会社の手足も縛った。金の先安観が強かった80~90年代の相場環境で、オーストラリアや南アフリカなど主要産金国の鉱山会社は中銀から安く借り入れた金を主な担保に数年先までの生産分相当額の先物を売ってきたが、中銀がなかなか金を貸してくれなくなったので市場から調達せざるを得ない。コストは上がる。ヘッジが機能しづらくなっていた。 ヘッジ戦略は相場の下落時に鉱山会社を守ってくれるが、先物売りが現物の売りに波及し値段をさらに下げる負の側面もあった。ワシントン協定はその悪循環を止める役割も果たしたわけだ。 しかも01年以降は「有事の金」復権で価格が上昇傾向に転じ、数年前に安い価格で積みあげた先物の売り持ち高には含み損が膨らむ。金価格の下落がこれ以上は見込めないとなると、各社は先物の買い戻しを急ぎ始めた。先物売りが減るだけでなく買い戻しが入る。買いが「倍々ゲーム」で広がるようなものだ。 ただディーラーの視点では「有事の金買い」にあまり踊らされないことが重要だ。紛争などが起きて投資家が我先にと金を買うと、必ず相場のオーバーシュート(行きすぎ)が起こる。短期的にはひとまず調整が入る「有事の金売り」を意識し、落ち着いたところで改めて買うスタンスが良いだろう。 平成の話ではないが例えば、1979年に発生したソ連のアフガニスタン侵攻。ニューヨークの金相場は200ドル台から850ドルまで急騰した後、すぐに押し戻されてきた。目端の利く投機筋は誰よりも早く持ち高を作ろうとし、イベントが人々の間で認知されれば利益確定を進める。そんなときは相場はいったん下がる。 ◆米中ロ、国際政治の不透明感を反映 2006~07年ごろから金の世界は変わってきたと感じる。08年のリーマン・ショックに続き、足元では英国の欧州連合(EU)からの離脱(ブレクジット)問題やトランプ米政権の登場などいままでの常識では考えられない事態が起き、資本主義の前提が崩れてきた。漠然とした将来の不安は解消しそうにない。「有事の金」の価格が200~300ドル台に戻る可能性はもうないだろう。 米国が金本位制を放棄した1971年の「ニクソン・ショック」からしばらくは金の大口保有者は米国とドイツなど先進国の中銀で、ワシントン協定まで金の売り手だったのは欧州勢だった。だが2010年ごろから中銀は金の買い手に転じている。中国やロシアなどが外貨準備として保有していた米ドルを売り、金の買いに傾いているためだ。米国との微妙な関係と国際政治の不透明感を映していると考えられる。 基軸通貨のドルを持つ米国は別の通貨を多く保有していてもしょうがないので外準に占める金の割合は現在も75%と突出している。その他の欧州各国の間に中国やロシアなどの「新参者」が割り込んでいく展開になってきた。 中国は世界1位の、ロシアは世界3位の金産出国でもあるため、市場で買わなくても金の保有割合を増やせる。近年はロシアが世界6位、中国は7位の金保有国に浮上した。ロシアが数年前にルーブル下落に苦しんだ際にどうにか持ちこたえられたのは、金の保有を多くしていたからとの指摘が聞こえてくる。 リーマン・ショック以降の米金融緩和政策の影響は大きかった。低金利の資金が行き先を求めて市中にあふれる構図は金に限らず商品相場全体に追い風だった。2012年に量的緩和第3弾(QE3)が始まったころ1600ドル台で推移していた金相場は、米連邦準備理事会(FRB)の出口政策が意識されると1200ドル台まで下げたが、19年に入ると今度は「緩和の終わりの終わり」が意識されている。金は再び上昇トレンドに戻ると予想している。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美 =随時掲載

「ダビンチ」のISRG期待に届かず 成長鈍化の懸念、時間外で大幅安

手術支援ロボット「ダビンチ・サージカル・システム」に成長鈍化の懸念が浮上した。手術機器のインテュイティブサージカル(ISRG)が18日に発表した2019年1~3月期決算は増収増益だったものの、売上高と1株利益が市場予想を下回った。「ダビンチ」の販売台数は伸びたものの、市場の高い期待に届かなかった。時間外取引で株価は7%あまり下げる場面があった。 売上高は前年同期比15%増の9億7370万ドルと、QUICK・ファクトセットがまとめた市場予想(9億7500万ドル)をわずかに下回った。市場が注目するダビンチの出荷台数は235台。前年同期から27%増えたが、18年10~12月期(34%増)や18年7~9月期(37%増)からは鈍化した。販管費や研究開発費が利益を圧迫し、特別項目を除く1株利益は2.61ドルと市場予想(2.70ドル)を下回った。 15年10~12月期以降続く2ケタ増収を維持するなど、決算自体は悪くない。ただ手術用ロボット業界でほぼ独占的な地位を築いている同社に対する市場の期待は高かった。株価は好調な業績を先回りするように12日に上場来高値を付けて、過去2年間で約2倍となっていた。超えなければいけないハードルが切り上がっていたのも時間外取引の株価下落を誘った。 事業環境にも不透明感が漂う。米民主党議員が提唱する「国民皆保険制度(メディケア・フォー・オール)」導入の議論が盛り上がり、20年の米大統領選に向けて米医療制度改革や医療費削減の動きが加速する可能性がある。治療費が高額になりやすい手術支援ロボット普及の遅れにつながるとの連想が働きやすく、足元のヘルスケア関連株の軟調さはISRG株も無縁ではない。 会社側は成長維持に自信を示す。決算説明会では19年12月期のダビンチを使った手術が前期比15~17%増えるとの見通しを示した。手術時間の短さなどから患者の負担が少ない「低侵襲」のロボット手術は国内外で急速に普及しており、業界の成長余地は大きい。米国では従来の内視鏡手術からロボット手術への切り替えが進み、椎間板ヘルニアや重度の肥満を解消するための外科手術などへの適用が拡大するとみられる。 19年には一部の基本技術の特許が切れるとも伝わっており、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)やメドトロニックなどの医療機器大手が20~21年にかけて参入するとみられている。ただISRGはロボット開発で先行するうえ、手術医の研修といったサービス分野でも強みがあり、競争への懸念は乏しい。にわかに浮上した成長鈍化観測を払拭できるのか、市場の高い期待を上回るまでは株価の上値は重くなるかもしれない。 【日経QUICKニュース(NQN ) 横内理恵】 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

証券営業の凄腕たち【Episode5】若手ならではの視点で企業経営者の懐に

「証券営業・私の戦略」、今回は三菱UFJモルガン・スタンレー証券の鈴木理大さん。グループの銀行から紹介を受けた企業経営者を主に担当する入社6年目の営業マンだ。若手ならではの視点で顧客の要望をくみ取り、地方支店時代の2016年には英国の欧州連合(EU)離脱決定などによる大荒れ相場にも顧客の信頼を得て社長賞を受賞した。将来は「企業の経営アドバイスまでできる営業担当に」と高い目標を掲げる。 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 鈴木理大氏 すずき・まさひろ  2014年慶大卒、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、和歌山支店配属。17年10月本店フィナンシャル・アドバイザリー部へ。入社以来、個人や未上場法人の営業を担当し、現職はフィナンシャル・アドバイザリー第一部の課長代理として、三菱UFJ銀行から紹介される顧客を担当。入社3年目で社長賞を2回受賞。27歳。横浜市出身   他社商品も含め顧客の資産全体に目配り ――2016年は6月に英国のEU離脱(ブレグジット)が決まり、11月には米大統領選でトランプ氏の勝利を受けて相場は大荒れでした。この年に入社3年目で社長賞を受賞するなど成績を残しました。 「ブレグジットのときは株価も急落し相場の見方も総悲観となりました。株式を購入してもらえないなかで、お客様とのコミュニケーションを密にとり潜在ニーズを引き出すよう心掛けました。株などが値下がりしてもリスク回避できるよう、金価格の上昇を見越して金鉱株なども提案しましたし、債券などリスクの少ない商品を勧めるようにしました」 ――相場環境が悪いときに低リスク商品を勧めるのは、他の営業担当者も同じだと思いますが、鈴木さんはどういったことを工夫したのでしょうか。 「自社から購入いただいた商品だけでなく、他社商品も含めお客様の資産全体を把握し、経営者の方に対しては本業のことまで考えたうえで提案ができるように心掛けていました。たとえばいま人手不足や物流コストの上昇で利益が出にくくなっているという悩みを抱えている経営者の方が多くなっています。人手不足はシステムの自動化で補いたいというニーズが高いため関連銘柄の商品を紹介し、物流費の上昇は燃料費高が一因なので、原油価格に連動する上場投資信託(ETF)を紹介するなど固定費を補えるような資産運用の方法を提案しました」 「お客様の話を聞いていると必ず本業の悩みが出てきます。そうした悩みに対応できるようにそれぞれの業界について分析したり、同業の上場会社の情報を提供したりするようにしていました。努力したことは相手に伝わり、事業の方向性についてご相談いただけるようになったこともあります。究極的には経営アドバイスまでできる営業担当者になるのが理想です。商品を売りつけるだけの営業では信頼を得られません」 ――若いということで、話を聞いてもらえないこともあるのでは。 「むしろ若い人がどういったことを考えているか、どういう視点でものを見ているかなどを知りたいと考えている経営者の方は多く、質問を受けることもよくあります。新卒採用に関してもいまの20代がどういう福利厚生を加えれば満足度が高まるか悩んでいるお客様もおられ、私は近い年代なので意見を求められることもあります。またビットコインなど若い人が手掛けることの多い投資商品について聞かれることもあり、そうした話題にも答えられるようにしています」 「銀行や資産運用会社などを持つ金融グループの一員として、金融業界の動向についての情報も提供するようにしています。どういった流れで銀行融資がされているのかなど、業界に身を置いていないとわからないこともありますし、お客様の関心の高いところでもあります。銀行の研修を受け知識を深めるなど、金融業界全体の総合的な視点を持った人材になりたいと考えています」 「5G」「自社株買い」……気になるテーマは徹底的に調べ尽くす ――現在は新設の部署で銀行から紹介された顧客を担当しています。 「グループの銀行とお付き合いのあるお客様になりますが、投資はこれまであまり手掛けたことがなく、漠然とした不安を持っている方が多いです。そういうときは株や債券、投信など主要な金融商品の全体感を説明したうえで、それぞれのニーズに応じた商品を提案し、リターンを具体的に伝えます。たとえば5年債に投資したら年2回これだけの金利収入があるなど、期中のキャッシュフローを含めた説明をするとわかってもらいやすいです」 ――最近の顧客ニーズに変化はありますか。 「低金利が続いているので、リスクを少し取ってみようという方がここ数年増えています。特に法人のお客様は本業で人件費や物流費など固定費が増え利益が圧迫されてきていることも多く、投資により資産を有効活用してカバーしようという考えが出てきています。最近では外債や日経平均株価連動債(日経リンク債)、他社株転換社債(EB債)などの需要が高まってきているように感じます」 ――情報収集や指数などを見る際に気をつけている点は。 「気になったことは自分が納得できるまでデータを深掘りして調べ尽くすようにしています。たとえば現在、投資分野として注目されている次世代通信規格『5G』などの通信インフラ投資は国家事業の一環だと思っており、総務省の公開情報やディスカッションペーパーも読み今後の成長性まで考えるようにしています」 「ソフトバンクグループが2月初めに自社株買いを発表して日経平均を押し上げたように、最近は個別要因が指数を動かしていることも多いと感じています。寄与度の高い銘柄の動きは特に確認するようにし一歩踏み込んで分析した上でお客様に伝えるようにしています。日経平均と東証株価指数(TOPIX)の動きの違いも注視しています。日経平均だけが上がっているときは先物を使った海外投資家の短期的な資金が入っている可能性が高いと考えられます。金や銅の指数や原油価格などコモディティーの動きは中国などの景況感の先行指数としてや、リスク度合いを測る上でも注視しています」 「証券営業担当者も銀行など金融業界全体の知見を持つべきだ」と高い理想を掲げる鈴木さんだが、もともとは金融業界には「全く興味がなかった」という。卒論のテーマは「アジア経済史」。歴史研究で培った文献を読み込む能力がいまの情報収集に生きているようだ。家庭では1歳の娘の父であり、同じグループの銀行に勤める妻とはお互いに仕事の話をするのが息抜きになるという。〔日経QUICKニュース(NQN) 神宮佳江〕 (随時掲載)

平成・危機の目撃者➓ E・ユルマズが見た「トルコショック」(2018)

政治も経済も危うさ、リラ急落は再び起きる 長期金利がマイナス圏に沈むなど、金利低下が続いた平成の日本。行き場を失った個人マネーの一部は高い金利の新興国に向かった。そんな中で2018年の夏にかけて起きたトルコリラ・ショックは、新興国運用の難しさを改めて意識させた。トルコ出身のエコノミストで現在は日本で株式投資のアドバイザーも務めるエミン・ユルマズ氏は「トルコの政治的混乱は簡単には収まりそうになく、ショックは再び起こり得る」と警鐘を鳴らす。   Emin Yurumazu氏 えみん・ゆるまず トルコ出身で1996年に日本に留学。2006年に東京大学大学院理学修士を取得後、野村証券に入社し15年に四季リサーチ株式会社に移る。現在は複眼経済塾の取締役・塾頭として、投資を実践する方法を指南中 ◆GDP(Global Debt Problem)の火種 平成が始まるとほぼ同じタイミングで冷戦が終結し、東西の区別がなくなった。資本が世界中をかなり自由に動けるようになり、新興国はお金の調達が容易になった。その結果、借金が膨らみ、2000年からいままででおよそ3倍の240兆ドル近くに増えた。 新興国の高い成長は多額の借金のうえに成り立っている。その現実は忘れてはならない。国民総生産(GDP)ならぬ「GDP(Global Debt Problem)」が危機の火種になる可能性を常に警戒すべきだろう。 中国だけでなく、インドやメキシコも主要先進国に匹敵する経済規模になってきた。20カ国・地域(G20)の枠組みの中でもっと発言権を持っておかしくないのだが、そうはなっていない。 ◆米露のはざまで揺れ動く 米通商代表部(USTR)は3月上旬、トルコとインドを一般特恵関税制度(GSP)から外すと発表した。十分な経済発展を遂げたためというのが表向きの理由だが、本当は新興国に米国側につくか、ロシアにつくかを選ばせているだけだ。冷戦の構造は変わってないのかもしれない。 トルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国でありながら、ロシア製のミサイルシステム「S400」を導入しようとしている。米国とロシア双方のご機嫌をとっているわけだ。S400のパーツは今年の夏にも届くとされており、米露の間でのトルコの振る舞いが第2のトルコショックのような状況を引き起こす可能性は十分にある。 3月末の統一地方選では、エルドアン大統領が率いる与党連合が首都で敗北したとみられるなど厳しい結果だった。内政も昨年に比べると安定しているとはいえない。 トルコ軍は1980年代から、クルド人の独立国家建設を目指す武装組織である現在のクルド労働者党(PKK)と武装闘争を繰り返してきた。PKKの分派勢力は過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討作戦で米軍と協力したため、トルコ政府の扱いは難しくなっている。ISと唯一真剣に戦ってきたクルド人を見直す機運が国際的に出ているうえ、長引く内戦でクルド人たちのアインデンティティが強まり、クルド人国家が誕生するのは時間の問題かもしれない。 ◆原油価格上昇の影響大、通貨安に エネルギー輸入とドル建て債務が多いトルコ経済は原油価格の影響を受けやすい。トルコリラと原油相場の関係をみると、原油高とリラ安のきれいな「逆相関」が成り立つ。中東や南米の政治不安が原油高を促せばトルコの景気とリラへの打撃も大きくなる。高い金利にばかり目を奪われていては本質を見誤るのではないか。 日本人は投資対象として日本を見直す必要があるだろう。世界経済の中心は米国と中国を中心とした環太平洋圏に移っている。欧米から日中をみた「ファーイースト(極東)」の表現はもう当てはまらない。 日本には隠れた名企業がたくさんある。選球眼を磨き、個別株の運用を通じてもっと投資を楽しんでほしい。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)矢内純一 =随時掲載

円、波乱前提のオプション衰退 値動き1円でも大相場の時代

外国為替市場で世界的に円相場の膠着が続いている。マイクロ秒単位で売り買いを繰り返す高頻度取引「HFT」やHFT並みの高速売買をする個人の外為証拠金(FX)投資家の存在感が相変わらず大きく、もともと動きが小さかった東京市場に限らず欧米の取引時間帯でも「たかが1円動けば大相場」となっている。オプション市場では「ストラドル」や「ストラングル」と呼ばれる相場の波乱を前提とする取引の影が薄れている。 電子ブローキングシステム(EBS)のデータから3~4月の円の日米欧市場を通した日通し値幅をみると、米金融政策と世界景気の先行き不透明感が強まった3月20日と22日の1円10銭台が目立つ程度。4月に入ってからは1日と11日の70銭台が今のところ最も大きい。円が1ドル=111~113円台で停滞していた昨年10~12月と似た状況だが、今月は値幅が50銭に届かなかった日が12日までの10営業日で6営業日もある。 オプション市場では円の上値の重さが意識され、円高の為替差損リスクを回避(ヘッジ)する目的の取引が細って予想変動率(IV)の低位安定をもたらしている。IVの1カ月物は前週後半に4.7~4.8%台と、過去最低を付けた2014年夏以来の低さになった。大相場を前提とするオプション戦略に適した環境にはない。 ストラドルの買い手は権利行使価格が同じプット(売る権利)とコール(買う権利)を同額購入し、ストラングルは権利行使価格をやや離してプットとコールを求める。いずれも相場がどちらかに振れさえすれば利益を積みあげられるため、直物でも積極的に持ち高を傾けて収益の最大化を狙う。だが、その戦略が一昨年あたりからなかなかうまくいかなくなってきた。 「ストラングルやストラドルはむしろ、波乱なしを前提に売る参加者が増えている」(外国証券のオプションディーラー)という。15日の東京市場で円相場は一時1ドル=112円09銭近辺と前週末のニューヨーク市場で付けた3月以来の安値水準に並んだが、下落ペースは依然として緩やかだ。オプションの売りは行使されたときのリスクが極めて高いものの、背に腹は代えられない――。そんな空気が広がっている。 【日経QUICKニュース(NQN ) 今 晶】 ※日経QUICKニュース(NQN)が配信した注目記事を一部再編集しました。QUICKの情報端末ではすべてのNQN記事をリアルタイムでご覧いただけます。

平成・危機の目撃者➒ 徳島勝幸が見た「超低金利大国ニッポン」

経済の実力そのもの、悪材料に耐性も 平成元年(1989年)1月に4%台後半だった長期金利は足元ではマイナス圏での推移が続いている。1998年の「運用部ショック」や2003年の「VaRショック」などで金利が跳ね上がっても長続きしないのは日本経済の実力そのもの――。債券市場の「ご意見番」の一人で現在はニッセイ基礎研究所で金融研究部年金研究部長を務める徳島勝幸氏は「VaRショックなどを経て債券市場は成熟し、悪材料への耐性を強めている」と話す。 徳島勝幸氏 とくしま・かつゆき 1986年に京大法学部を卒業し日本生命入社。91年ペンシルベニア大学ウォートンスクールで経営学修士号(MBA)を取得。資産運用関係の業務に25年以上に渡って従事し、債券投資、資産配分、クオンツ運用、リスク管理、運用コンサルティングなどを幅広く担当。中でも社債・地方債などクレジット投資に関しては豊富な経験を有し、社債市場の活性化やTOKYO PRO-BOND Market設立にも関与。様々な年金・共済組合などで運用委員を務めるほか、社会保障審議会資金運用部会委員や証券アナリストジャーナル編集委員 ◆人口構成の変化で潜在成長率が低下 銀行などが金利変動から生じそうな損失を推計し、相場下落(利回りは上昇)のリスクを避けるために売りを増やそうとするVaRの問題がなぜ03年に顕在化したのかはよくわからない。日銀の量的緩和政策やイラク戦争などに伴って債券保有の度が過ぎ、逆回転のエネルギーをためていたのだろうが、いずれにしろあまりの強気相場に市場では警戒感が出始めていた。 自分も03年6月の20年物国債入札を前に「こんな(低い)利回りの20年債なんか買えない」と言った記憶がある。イールドカーブ(利回り曲線)が平たんになってしまったことも響き、生保や年金などが積極的な買いを見送ったため、銀行の売りが売りを呼ぶ展開になったとの解説が多い。それでも金利上昇は長続きしなかった。 戦後の高度成長期を見てきた人と話すと「金利はもっと高くあるべきで、いずれ上がる」とのバイアス(偏り)が強い。だが平成に入ると少子高齢化などで(若者が少なくなる)人口構成の変化が進み、潜在成長率は下がった。経済の実力からいって、物価が上昇しない限り、日本が高金利であるはずはない。バブル時代を知らない世代も大部分が「金利は上がらないもの」ととらえていると思う。 平成の30年あまりで金利上昇をもたらす「ショック」は何度か経験したものの、現在はご覧の通りだ。日銀の異次元緩和政策によって低く抑えられている点を割り引いても、なかなか金利は上がらないというのが実態だろう。 ◆入札や決済の制度変化、債券市場の成熟促す 生保業界にはかつて、運用資産の5割以上を国債などの元本保証商品に充て、株や外貨建て資産は3割以下、不動産は2割以下しか投資できない「5・3・3・2規制」があった。それが財務の健全性に焦点を当てた「ソルベンシー規制」に変わり、より総合的なリスク管理をするようになっている。 さらに01年に米国で起きたエンロンの不正会計事件や日本のマイカル社債のデフォルト(債務不履行)などは企業の情報開示を見直す契機になった。財テクの時代は本業とは関係のない非連結子会社で何をしているかわからないケースが山ほどあったが、財務諸表や非財務情報にかなり書き込まれるようになった。30年前に比べればはるかに多い情報を得ることができる。 もちろん、M&A(合併・買収)などを受けて投資対象先の財務構成が全く違うものになり、財務状況が悪化したときに既存の社債保有者は守られないといったリスクは残る。だが総じてみると、この30年で企業の財務状況の透明性は増し、エンロンのような事件は発生しにくくなったと判断していい。 債券市場の仕組みもだいぶ洗練されてきた。今では入札方式が当たり前の国債は、平成が幕を開けたころはシンジケート団の引き受けによる発行だった。10年債は89年から部分的に価格競争を導入し、シ団引き受けは05年末に廃止。5年や30年、40年債など当時はなかった年限も加わって豊富になった。 決済方法は劇的に変わった。平成初期は「5・10日(ごとおび)」決済だったから、受け渡し日までは先物のような差金決済が可能だったので、現物投資家でも現金を使わずに先物感覚でディーリングできたのだが、現在は翌日受け渡し。隔世の感がある。 こうした変化は市場原理を取り入れた規制緩和のたまものだ。統制から自由へとかじを切り、市場の成熟を促してきた。だからこそ日銀が金利をコントロールし続けることは適切ではない。 ◆膨らむ日銀頼み、ぬぐえぬ不安 債券も株も日銀頼みの部分が膨らみすぎてしまった。銀行も証券会社もだいぶ集約され、外資系証券は日本のマーケットはもうからないと撤退が相次いだ。積極的な運用を仕掛けるのが難しい債券市場は機能喪失に陥り、若手は力を伸ばせなくなっている。この先、昔を知る人がいなくなった後にもし金利上昇の時代が来たらどうなるだろう。不安は拭えない。 平成の初めに「とりあえず金利を上げたほうが景気は良くなるのはないか」との議論がみられた。金融引き締めは景気に悪影響を及ぼす半面で金利があるからこそ債券に向かうマネーは増える。定期的な利息収入は株などの他のリスク運用をする際の心のゆとりにもなる。だが、こんな低い金利ではどうしようもない。 運用者には厳しい時代がまだ続くだろう。ここ数年は株高・円安基調の陰に隠れていたが、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が18年10~12月期に14兆円規模の運用損を出したように、相場変動に右往左往する事態は増えるのかもしれない。東京五輪や大阪万博の開催は景気に対する一時的なカンフル剤にはなるが、その谷間はどうするのだろうか。 また、日本全体の金融リテラシーはまだ低い。例えば「スワップ取引などのデリバティブ(金融派生商品)は悪いもの」との考え方がいまだに強い。現物の投資(買い)に対して先物のデリバティブで売り持ちを作れば全体のリスク量は減らせる。問題はデリバティブという商品ではなく、その扱い方にあると理解されていない。 一方、銀行預金に次ぐ運用手法として投機的な株の信用取引や外国為替証拠金(FX)取引を持ち出す不思議な風潮もある。リスクを適切に管理した、まっとうな「投資」がもっと広がってほしい。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)片岡奈美 =随時掲載

平成・危機の目撃者➑ 大沢孝元が見たLTCM破綻(1998)

甘いリスク管理、はかなく散ったドリームチーム あんな偉人でも間違えるのか――。1998(平成10)年、通貨オプションのカリスマの一人で、ノーベル経済学賞受賞者でもあるマイロン・ショールズ氏が加わっていたヘッジファンドのロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻し金融工学系の市場参加者に衝撃を与えた。当時、社会人になったばかりの大沢孝元氏もその一人だ。為替のデリバティブ(派生商品)に長く携わってきた大沢氏は「LTCM事件をきっかけにリスクの正しい認識がいかに難しく、そして重要か分かった」と振り返る。 大沢孝元氏 おおさわ・たかもと 1998年に東京工大大学院の総合理工学研究科環境物理工学課程を修了後、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)に入行。ストラクチャラー・カスタマーディーラーとして市場経験を積んだ。2007年6月にバークレイズ銀行の東京支店に転じるとストラクチャー担当で頭角をあらわし、14年に市場営業本部長に就いた。18年1月からは東京外国為替市場委員会の副議長も務める ◆巨大な振幅が瞬時に拡大、理論は役立たず LTCMはショールズ氏のほか、ショールズ氏とフィッシャー・ブラック氏が作ったデリバティブの価格算出式「ブラック・ショールズ方程式」を証明により確立し、ノーベル経済学賞をとったロバート・マートン氏も参加していた。米連邦準備理事会(FRB)出身者もいて市場からは「ドリームチーム」と呼ばれていたが、97年のアジア通貨危機と98年のロシア財政危機が抱える潜在的なリスクを見逃した。 LTCMの基本戦略は、資産価格が割安か割高かを見極めて売り買いする「レラティブ・バリュー」。自らの資産の何倍にも運用額を膨らませるレバレッジ取引に傾いていた。にもかかわらずリスク管理が甘かった。 リスク回避(ヘッジ)は厳密にし過ぎるとパフォーマンスを下げてしまう。半面、しないと市場が予想と真逆に動いたときのダメージは計り知れない。 ブラック・ショールズ方程式は相場の動きを予測するモデルで、熱伝導に似た法則性を活用している。だが、危機時の相場は巨大なエネルギーが波のように振幅を伴って瞬時に広がる。ブラック・ショールズ式の理論が役に立たない。 強気一辺倒の場合はバブルを起こし反動は激しい。それを防ぐにはリスクを認識しヘッジ可能な環境が必要なのだが、90年代はリスク管理に使えるパラメーター(要素)が少なすぎた。 リスクをリスクと気づかない状況。リスクに気づけず膨らんだ持ち高はリスクの顕在化とともに破裂し、影響は倍どころか「乗数」で拡大していく。 例えば外国為替市場での円高・ドル安だ。98年10月7日の夕刻、突如円相場は1秒間に1円以上の速さで急伸し、持ち高の時価評価額はわずか数分で数千万円~数億円振れた。経験不足だったあのころは怖くて顧客の電話はとれなかった。 折しも日本は金融システム不安のまっただ中だった。97年の三洋証券を皮切りに銀行と証券会社の破綻が続いていて、生命保険会社の一部は身売りを迫られた。不良債権問題から抜け出せず長くもがいてきたが、それだけにリスク管理では先行できたかもしれない。LTCM破綻後の円の急伸を主導した日本マネーによる対外資産の圧縮は2008年のリーマン・ショックではさほど目立たなかった。 人は「のど元すぎると熱さを忘れる」という。リーマン・ショックにおける欧米の混乱は1990年代の危機を忘れてしまったのかと思わせた。対して日本はバブル崩壊からの立ち直りが遅れていたぶん、自分も含めてリスクへの感応度や耐性は磨かれていたかもしれない。 ◆市場の歪みは本物か、どれだけ続くか見極めを 通貨オプションなどのデリバティブを組み合わせて商品設計する「ストラクチャー」部門での営業経験が長い。すべての商品の基本はリスクとリターンは釣り合うということ。メリットが大きければリスクも大きいし、メリットが小さければリスクも小さいわけだ。 リスクとリターンを釣り合わせればどんな商品でも作れてしまう。うまみの大きな商品はそれなりのリスクを内包している。低リスクで高収益を生む商品は作れない。 そんな世界なので、売る側にも買う側にも高い倫理観と専門知識が求められる。もし市場に何らかのゆがみが存在し、デリバティブで利益を得るチャンスが高いと判断したとしても、本当にゆがんでいるのか、ゆがみがどの程度持続するかは常に意識しなければいけない。利益追求の意欲が先にたつあまり、実は自分たちの目のほうがゆがんでいたなんて話もずいぶんある。 相場にかかわる人はすべからく、「何を勉強してもプラスにしかならない」と日々研さんすべきだ。数年前にギリシャ危機が起きた際にはギリシャ関連の書物を読みあさった。電子ブローキング(EBS)の価格変化の背後に、ギリシャの先人が川辺で板を使って洗濯する光景が思い浮かんだほどだ。そこまでのめり込んではじめてわかってくることは少なくない。 ◆AIはまだ発展途上 ここ数年、市場をにぎわせている機械取引や人工知能(AI)の分野はまだ発展途上だ。いまAI活用の場とされているのは、90年代から続くパターン分析や回帰分析の延長にすぎない。大量のマーケットデータを集めた「ビッグデータ」を機械に学習させて将来を読み解こうとするアプローチは、マシンラーニング(機械学習)であってもパターン分析の域を出ていない。 確かに機械学習によってパターン予測はできる。期間や利益率、リスクの量といった項目を詳しく入力すると、短期的には効果をあげられるレベルには達した。誤解を恐れずにいえば短期の相場を支配するのは主に様々な「ノイズ」で、それをビッグデータから解析できると一定の成績はあげられる。 AI活用の次のステップは中長期の相場予測だろう。マーケットデータは様々な「多次元的」要素を上がるか下がるかの「1次元」につぶしてしまっているので、取り扱いには注意しなければならない。大量のデータを使ったとしても、現実に起こっている相場変動を完全には分析できない。 現実の相場は人々の思考や文化、宗教、欲望や営みまでが複雑に絡み合う。あらゆる情報は相場に反映される半面、逆はまだ現時点では真ではない。 最近は気象の勉強を始めた。やりたいことが多すぎて時間が全然足りない。データ処理とAIの進展で次に何が生まれるのか、楽しみだ。10年後、20年後に後れをとることのないよう頑張りたい。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)菊池亜矢 =随時掲載

平成・危機の目撃者➐ 松田邦夫が見たジャパンプレミアム(1990年代後半)

ニッポン信頼低下の象徴、疑心暗鬼の連鎖 バブルの後始末が始まった平成前半、金融市場では邦銀向け上乗せ金利「ジャパンプレミアム」の嵐が吹き荒れた。銀行や証券会社の不祥事と経営悪化が相次ぎ、日本の金融システム全体に対する海外からの視線が厳しくなった。誤った情報が疑心暗鬼の連鎖を招くケースもあった。1990年代後半に日銀で国際金融を担当し、海外向けの正しい情報発信に奔走してきた松田邦夫氏は「信用不安の恐ろしさと予防的対応の大切さを痛感した」と振り返る。 松田邦夫氏 まつだ・くにお 1980年に日銀に入行。90年代半ばに国際金融担当として、海外市場における邦銀の業務や国際的な金融規制動向をモニター(監視)する役割を担った。秘書室調査役(国会担当を兼務)を経てフランクフルトに赴任した際にもユーロの誕生から間もない欧州と日本の間の情報・認識ギャップを埋める努力をした。2009~10年には預金保険機構に出向し、預金保険部長として日本振興銀の破綻処理を担当。2013年に外為証拠金(FX)会社のセントラル短資FXの社長に就いた。趣味はクラシック音楽鑑賞と居合道。 ◆邦銀撤退相次ぐドイツ、率先して情報周知 日銀のフランクフルト事務所長を務めていた1998~2001(平成10~13)年は日本の金融システムに対する海外の見方が特に厳しかったころだ。邦銀の撤退が相次ぎ、現地で日本の事情を詳しく語れる人が減っていたので、日本についての誤解が一人歩きをしないよう奮闘する毎日だった。 97~98年の山一証券と北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の経営破綻の影響は大きかった。邦銀の情報開示やコンプライアンス(法令順守)と政策対応への不信は極限に達し、日本を代表する大手銀でさえ外貨調達に苦しんでいた。信頼低下の象徴といえるジャパンプレミアムが拡大する中で、現地の当局者と会ったりドイツ語で講演したりして情報周知に努めた。 邦銀も守りの姿勢一辺倒だったわけではない。危機後の邦銀の海外事業は縮小傾向ではあったものの、与信先企業の信用力だけに依存しないプロジェクトファイナンス(大型事業向けの融資)などに活路を見いだそうとしていた。それを日銀側からフォローできたのは貴重な経験だった。 折しも1999年、統一通貨ユーロ導入に現地で立ち会った。日本では、ユーロや欧州中央銀行(ECB)などに対して懐疑的な英米有力メディアの論調に引きずられがちなことがずっと気になっていた。その後のユーロ安も影を落としていたようだ。だがドーバー海峡を隔てて大陸側にいれば、ユーロが導入国の崇高な理念と固い意志によって生まれたもので、いかに膨大なエネルギーと英知が注がれているかは自明。ユーロ圏各国の中銀関係者と対話を深め、日本に正しい情報を伝えるのと同時に改めて日本国内の事情を理解してもらうようにした。 ※ジャパンプレミアム……バブル崩壊に苦しんでいた邦銀に対し、欧米の金融機関がロンドン銀行間取引金利(LIBOR)に対し求めた上乗せ金利。1995(平成7)年に大和銀行(現りそな銀行)ニューヨーク支店で発生した米国債の巨額損失事件をきっかけに急拡大し、信用力の劣る銀行では上乗せ幅が1%を超えた。信託銀行などは手持ちの円を元手に為替スワップを通じてドルを調達し、その裏返しで欧米銀はゼロ%に近い利回りで円を借りられた   足元でもジャパンプレミアムが発生し、欧米金融機関は低コストで円を調達できるが、1990年代とは様相が異なる。日銀のマイナス金利政策による運用難に伴い国内勢のドル志向が高まったためで、信用不安を背景にした動きではない。 ◆「保険屋」としても危機管理 2010年、預金保険機構の預金保険部長として、経営破綻した日本振興銀行に対して発動された日本初のペイオフ(全額保護上限を1000万円とする預金払い戻し)処理を担った。今のところ国内で唯一のペイオフ事例だ。振興銀は普通預金を持たない特異な事業モデルだったことから金融システム全体へのインパクトは薄かったとはいえ、社会的事件として世間の注目度は高かった。国民に預金保険制度を正しく認識してもらういい機会になった。国際金融担当だった時代の危機管理のノウハウはここでも生きている。 振興銀の処理をした後でも預金保険機構の資金プールは潤沢で、大きめの銀行が複数倒れても大丈夫なほどだったので、金融業界からは保険料率引き下げの要請が強まった。関係者と「金融機関破綻は本当に遠のいたか」といった議論をした末、私の離任後には実際に引き下げにいたった。こうした変化は、1990年代の危機から2008年のリーマン・ショックなどを経て、金融システム不安がようやく峠を越えた証しでもあった。 一方、日本の実体経済は低迷をなかなか抜け出せない。技術革新などを背景に産業構造が世界的に変わっているにもかかわらず、自動車など重厚長大の輸出産業に経済を支える役割を期待する構図が続いているからだろう。 リーマン・ショックが起きた当時は日銀の大阪支店にいた。サブプライム(低所得者層向け)ローンもリーマン・ブラザーズも日本から遠い存在なのに、関西でも経済人が皆「なぜ?どうして?」といぶかるほどに悪影響と不安が急速に広がった。「需要の蒸発」がグローバル化と産業構造の転換の遅れとも深く関係していることを再認識させられたのを覚えている。 リーマン・ショックや東日本大震災後の円高は、昔からある円高恐怖症を改めて強いものにしたのではないか。安倍晋三政権誕生の前後から円安の流れに変わったとはいえ、引き続き円高を国難に結び付けがちなメンタリティは構造改革を阻む要因のひとつではないかと思っている。 円高恐怖症とセットで、欧米の景気や金融政策に左右されやすい構図も続いている。ここにきて米経済の減速懸念から米連邦準備理事会(FRB)の利上げペースが鈍るとの思惑がにわかに浮上し、ECBの政策正常化観測も後退してきた。日銀としては一段と金利が下がったときの副作用を心配する声がある中で、今後は打てる手が限られるとの悩みを抱えているのではないかと感じる。 ◆必要な構造転換から目を背けるな 日本は少子高齢化の課題先進国。遠からずアジアも欧州も同じ問題に直面する。課題を逆手に取り、海外に先駆けてビジネス分野を切り開いていく余地は大いにある。医療・介護・健康はもちろん、資産や経験と知識、時間が豊富な層向けの商機拡大を望みたい。 日本経済のパイを広げるには、単純に移民を国内の労働市場に呼び込むよりも、まず日本人の労働参加意欲を高めていくことが肝要だ。女性や高齢者の労働参加率の上昇傾向からは、働きたい人が増加し、また働きたい人々を受け入れる労働環境が整ってきた様子が確認できる。勤労機会の拡大は将来的な年金不安を和らげて消費を促すだろう。 さらにグローバルに活躍する人や企業とともに、産業のソフト化に伴って付加価値が高く為替の影響を大きく受けない分野が育てば、円高のトラウマからも脱却できそうだ。 東京五輪や大阪万博などのイベントも確かに経済を活性化させるが、目先の需要掘り起こしだけに気をとられ、本当に必要な構造転換を先送りしてしまうリスクが残る。長期的な危機管理の視点を忘れず、課題から目を背けてはいけない。 =聞き手は日経QUICKニュース(NQN)蔭山道子 =随時掲載

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