語り手:ニッセイ基礎研究所 専務理事 櫨浩一氏※この記事は2016年06月16日にQUICK端末で配信した記事です。
【景況判断】現状(3カ月前比):横ばい圏 先行き(3カ月後):やや改善
GDP予測:16年度0.6% 17年度1.1%
【金 利】短期:やや低下 TIBOR3カ月 0.03%
長期:やや低下 10年物新発国債 ▲0.15%
【円 相 場】やや円安 108円/1ドル
【株 価】ほぼ横ばい 16,000円/日経平均
*GDP予測値は実質GDP成長率、前年比%
*長短金利、円相場、株価は3カ月後(2016年9月末)の予測値
1.景気見通し:「消費増税再延期」
安倍総理は2017年4月に予定されていた消費税率の10%への引き上げを延期して、2019年10月からとすると発表した。サミットでは昨年の見通しよりも厳しい状況であることには各国合意したものの、差し迫った危険性があるという合意は得られていない。米国は利上げをしようとしているし、ドイツなど欧州各国は財政支出拡大には後ろ向きだ。こうした中で日本が増税を見送り、財政政策による刺激をしたところで、世界経済のコースを大きく変えることはないだろう。
新興国経済の悪化から世界経済は危機に陥るかもしれないが、それは日本が消費税率を引き上げるか引き上げないかに関係なく起こることだろう。2019年10月の経済状況が今より良いか悪いかは誰にも分からないので、税率を引き上げることができるかどうか分からない。
増税を回避したのだから、来年度の経済成長率の見通しが上方修正になるのは当たり前だ。2025年頃には団塊の世代は後期高齢者になっている。後期高齢者になれば、介護状態となったり病気になったりする人の割合は高くなるので、介護や医療への支出が増え、財政は火の車になるだろう。この頃には消費税率を少なくとも欧州各国並みの20%に引き上げル必要があると考える。今までのスケジュールでも消費税率の引き上げはかなり急速だが、今回再延期したことで、税率引き上げのペースはもっと急速でなければ間に合わないことになる。それだけ増税による経済へのショックは大きくなるし、待ったなしなのでタイミングを選ぶ余裕もなくなる。当面は良いが、先行きが心配だ。
2.金融環境:「円高圧力の高い状況が続く」
米大統領選挙はトランプ氏対クリントン氏となったが、ここまで全く予想外の展開だった。トランプ大統領になればかなりの混乱が予想されるのは言うまでもないが、クリントン大統領誕生でもこれまでの選挙戦の影響で保護主義的なスタンスを取らざるを得ないだろう。日本の国際収支は、東日本大震災後に貿易収支が赤字化し、経常収支も一時赤字となったという状況から、再び大幅な経常収支黒字に戻っていることも円高の背景になっている。EU離脱の可否を問う英国の国民投票は、何とか残留という結果になると期待しているが、よほどの大差で残留とならない限り不安が残るだろう。テロや難民問題の深刻化によってEU諸国でのナショナリズムが台頭しており、対立や離脱の動きがより活発になってユーロに対する不安が高い状況は続くと予想する。民間部門の債務の膨張など中国経済に対する警戒感も強い。米国の雇用改善速度に不安が出てきたことから、利上げの速度が当初の予想よりさらに緩やかになりそうなことも加わって、円高圧力は高い状況が続くだろう。
政府・日銀が為替市場で介入を行なうことについて主要国の了解を得るのは極めて困難で、ハードルは高い。政府・日銀による介入のうわさがすぐに出てくるが、現実に介入に踏み切ることは非常に難しいだろう。
3.注目点:「ヘリコプターマネー」
ヘリコプターマネーの議論が注目を集めている。具体的にどのような政策を意味しているのかは論者によって様々だが、政策を実施する結果、ハイパワードマネーの増加が起こり、名目GDPの増加を目指すという点は共通だ。
日本では長年金融緩和を続けてきたため、貨幣乗数(ハイパワードマネーとマネーサプライの比率)が低下し、同時に、貨幣の流通速度(マネーサプライと名目GDPの比率)も大きく低下している。名目GDPの増加を引き起こすために、通常の経済状況で想定されるよりも遥かに多くのハイパワードマネーを供給しなくてはならない状態になっている。
確かにこうした状況でも、ヘリコプターマネーをもっと大胆に使えばハイパワードマネーを非常に大きく増加させ、最終的に名目GDPを増加させることはできるはずだ。しかし、その結果デフレからの脱却に成功すれば、貨幣乗数も貨幣の流通速度も現在の異常な低水準から歴史的な平均値に戻っていく可能性が高い。実質GDPの拡大には限界があるからインフレが加速していくので、それを止めるためにハイパワードマネーを大量に吸収し、マネーサプライを大きく減少させることが必要になる。著しいインフレを許容するか、著しく厳しい金融引き締めや大規模な増税による所得の吸収でインフレを抑えるかの選択を迫られることになる。
恐らく国民は、相当ひどいインフレと相当厳しい引き締めの両方に苦しむことになるだろう。これから追加的なヘリコプターマネーの供給をしなくても、既に貨幣乗数と貨幣の流通速度は歴史的に異常な低水準にあり、正常な水準への回帰が起こった場合には対処が難しいほどのレベルとなっていて、将来の危険性は高い状況にあると考える。
<櫨浩一氏略歴>
1955年生まれ。東京大学理学部卒業。同大学大学院理学系研究科修士課程修了。ハワイ大学大学院経済学部修士課程修了。81年経済企画庁入庁、経済対策を担当する調整課の課長補佐を務めた後、92年ニッセイ基礎研究所入社、2012年から現職。専門はマクロ経済調査、経済政策。東京工業大学連携教授、景気循環学会理事、内閣府景気動向指数研究会委員。主な著書・論文「日本経済の呪縛」「日本経済が何をやってもダメな本当の理由」、「貯蓄率ゼロ経済」など。