新聞やテレビで相場解説をする市場関係者は数多いが、その人の歩んできた歴史を知る機会は意外に少ない。華々しいキャリアに至るまでいったいどんな軌跡を歩んできたのだろうか。市場で活躍するキーパーソンが歩んできた道のりを紹介すると同時に、若手に向けたメッセージを聞く。第1回は欧州系証券大手クレディ・スイスで2017年から直近まで株式本部長、現在はアジア太平洋部門の外国株式業務のヘッドを務める牧野淳氏(48)。とある地方都市の証券会社の支店でのリテール営業から、その歩みは始まった。
■どぶ板営業でつかんだロンドンへの切符
牧野氏が社会人人生を歩み始めたのは1992年。当時は新卒採用で売り手市場の全盛期だ。「希望すれば働く会社を選べた時代。特に証券会社に入りたかったわけではない」というが、学歴に縛られたくないという思いから門を叩いたのは当時の4大証券の一角だった。
「母が株式投資をしていたため世間一般が考えるよりは証券会社に対して良いイメージがあった」と牧野氏は語る。証券会社へ入社した大学のOBからは「ノルマはない」と聞かされていたことも入社を決めた理由のひとつだ。配属は三重県の四日市支店だった。
当時を振り返り牧野氏は「ハメられたって思いましたよ」と苦笑いする。OBから「ない」と聞かされていたノルマはしっかり存在した。分厚い「日経会社情報」や灰皿が飛んでくるのは当たり前。入社当初は自分には課されなかったノルマだが、先輩社員の苦しむ姿を間近で見ていた。平成の時代に「ブラック」といわれる働き方。そんな状況でもやれるところまでやってみようと前向きに考えた。
とはいえ、「このときほど辛かったことはない」と当時を振り返る。絨毯爆撃のごとく飛び込み営業する毎日。断られるのは当たり前、1日1000件の飛び込みもこなした。まさにどぶ板営業だ。ライバルはその支店の先輩だけでない。全国に散らばった同期との競争も意識した。めげずに続けていくと、ようやくぽつりぽつりとお客さんができ始めた。東京や名古屋といった都市圏に比べると不利と思われる地域でも、2年目には「この場所でも成績を上げられる」と自信がつき始めた。
「リスクを恐れないアグレッシブな取引をやってきました」という。新しい取引手法にも挑戦し、手数料を稼いだ。実績を積んで本部長賞や社長賞も受賞。この頃から海外赴任という思いが募る。実績が認められ海外赴任の希望が認められたのは96年だった。
先輩と後輩2人とともに英国、ロンドンへ。牧野氏は「英語はまるっきりだめだった」と話す。1年目は現地の語学学校に通い、社員として給料を得ながら留学する感覚で当初は遊び散らかした。半年ほど経ったころ、あることがきっかけでロンドン人事部に大目玉をくらう。半ば不貞腐れていたが、「君たちは最高の成績を残したからロンドン赴任に選ばれた」という言葉を受け心を入れ替えた。
語学学校に通いながら半年後には現地でOJT形式の仕事も始まった。業務は現地上場銘柄のマーケットメイク。英語はまだ不得意だったが、電話で問い合わせが相次いだ。しかも隣に席を構える現地のイギリス人は昼休みに酒を飲んで帰ってくる始末。難しい業務、慣れない英語、理不尽な隣席の振る舞い。牧野氏はこのときに「グローバルで戦うのはこういうことか」という思いを抱いたと語る。
■金融危機、合弁先の米系証券に「拾われた」
この頃は激動の時代だ。4大証券の一角、山一証券が97年11月に破綻。自分自身にも「まさか」という事態が起きる。自分が働く会社が米系証券との合弁を決めたのだ。合弁後は現地で日本人の配属はしないとの話だったが、どうにか海外に残りたかった。
そんな中で拾う神がいた。合弁相手のロンドンオフィスから現地採用の声がかかったことだことだ。フロアには1000人ほど働いていたが日本人はほとんどいない。当時は「すごいところに来てしまったな」と思った。同時に「これまでと仕事は変わらない」という楽観的に構えて仕事に励んだという。最初の赴任から6年後の2002年に日本に帰国した。
現在の勤務先であるクレディ・スイスに移籍したのは04年。ロンドンでマーケットメイクを担当していた当時から、クレディ・スイス・ファースト・ボストン(現クレディ・スイス)は良いプライスを出してくるとの印象があった。何度か移籍のオファーをもらったが、帰国後にも声がかかったのがきっかけだった。移籍後にそれまでの経験を活かして進んだのはプログラムトレードの道だった。
「今でもプログラムトレードは好きです」と牧野氏は語る。理由は投資家のうねりが最初に見られるから。アセットアロケーションの変更で投資家が使うツールだからこそ、彼らの動きが把握できるという。CSでのキャリアの道を進め、13年にトレーディングを取りまとめる CTE統括本部長に就任 、17年には株式本部長というポジションを得た。
■小さい目標の積み重ねとおもてなし
挫けずに歩み、築き上げた牧野氏のキャリア。華々しさとともにどことなく人間臭さも浮かび上がる。牧野氏が前を向いて突き進む秘訣は何なのだろうか。
牧野氏は「常に目標を立ててきました」とあっさり答える。その目標は長い将来の自分自身を描く壮大なものではなく、小さい目標の積み重ねだという。リテール営業時代には「自分の仕事ぶりが新聞に載ること」を目標にした。次は海外への赴任、テレビへの出演、新聞への寄稿など、小さいながらも叶えられる夢をもって行動してきたという。ひとつの目標には短い期限を設け、期限が過ぎた場合は再度期限を決めるというコツコツした目標の設定だ。
心持ちとして大切にするのは「最後までお客さんにしつこく尽くす」こと。一言でいえば、おもてなしだ。この部分はリテール営業でも現在のポジションでも変わらない部分だという。先々、証券のトレーディング業界ではAIの活用が期待されるが「投資の意思決定をするのが人間である限り、トレーダーという職業が無くなることはないだろう」との展望も描く。
日本株営業、海外でのマーケットメイク、プログラムトレードの専門知識をOJTで身につけてきた牧野氏だが、「テクニックでトレードを突き詰めたことはない」とも話す。最低限のシステム知識などをもっていれば「人間関係の構築でどうとでもなる」というのだ。
若い証券マンが日本株の営業に苦しんでいるとの話は多い。牧野氏は若手に対して「もっと“株LOVE”になって欲しい」とのメッセージを送る。「もっとパッション(情熱)を持って、すぐに否定の『でも』の言葉を使わないで」とも。外資系証券の株式本部長という肩書きからは取っつきにくい姿を想像するが、実際に話してみると気さくの一言につきる。そこに、前向きでアツい心をもった姿が同居している。(中山桂一)
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