記憶に残る外国為替ディーラーといえば誰か。問われたときに名前が挙がる日本人は少ない。その一人が日本興業銀行(現みずほ銀行)のすご腕で鳴らした花井健氏だ。現在は企業経営アドバイザーとして為替経験をいかす花井氏は現役時代、徹底的に相場に入り込み、かすかな変化も見逃さず勝ち抜いてきたとの自負がある。「周囲に『運が良い』と映っても実は地道な努力の積み重ねによるところが多い。『見抜く力』を得られるか否かが勝敗を分ける」と指摘する。【聞き手は日経QUICKニュース(NQN)編集委員=今 晶】
花井 健(はない・たけし)氏
1977年に大阪市立大商学部を卒業。興銀(当時)に入行し国際為替営業部長やみずほコーポレート銀行の本店営業第4部長、執行役員上海支店長、常務執行役員アジア・オセアニア地域統括役員を経て2009年に楽天に移籍。現在は自己勘定で取引をするとともにアシックスや丸運、日本精線、タツタ電線、LIFULLの社外取締役と複数の企業で顧問を務めるほか、母校の大阪市立大の国際交流アドバイザーとして教壇に立つ
■「微か(かすか)なるより顕か(あきらか)なるはなし」
これは孔子の説とされ、日立製作所フェローの矢野和男氏は著書「データの見えざる手」(草思社)で「君子は微かを知るがゆえに顕かを知る」と読み替えている。現在の世の中も、見えているようで見えていないことだらけだろう。
見えていないものをそのままにしていては進歩はない。相場漬けの日々を送り、ニュースなどで表に出ていない動きやパターンの変化、構造を細かく拾う地道な作業、真の人脈作りと情報収集が必要だ。王道やマニュアルなど無く、うまくいっても「幸運」ぐらいに軽く受け止められるのかもしれないが、それが実力だと胸を張っていい。
デジタル技術や人工知能(AI)との付き合い方のツボもそこにある。AIによるデータ解析や経済指標への反応スピードは格段に進歩し、短期取引はAIやアルゴリズムの独壇場になりそうだ。だがAIもアルゴも精度がまだ低く、相場のオーバーシュート(行きすぎ)を引き起こしやすい。流れに逆らう「逆張り」が有効な局面がしばしば生じている。判断をするのは人間だ。
とにかくIT(情報技術)との関わりは避けては通れない。AIなどの長所と短所をしっかり把握し、取引につなげるのは人の仕事。長期投資では人間の出番が増えるだろう。人と機械の特性をそれぞれうまく活用した分業体制が理想だ。
■性悪説でシステムを作り、性善説で人を管理する
感情に流されず欲望を前面に出さない「無心」「無我」の境地は、頭では大切だとわかっていても簡単には割り切れない。外為市場の先人は様々な工夫で無心になれるよう努めてきた。例えば元東京銀行(現三菱UFJ銀行)の若林栄四氏(現ワカバヤシエフエックスアソシエイツ代表取締役)は相場変動を「神意」とみなし「負けは神の領域に近づきすぎたから」と自らに言い聞かせ、チャートなどを駆使して淡々と敗戦処理に臨んだという。
人間が作り出す「有機質」の要素では説明できない客観的な現実がマーケットには厳然と存在する。勝てるトレーダーはそんな「無機質」の視点を必ず持っている。著名な日本人のディーラーとしてまず名前が挙がる堀内昭利氏(現AIAビジネスコンサルティング社長)やチャーリー中山(中山茂)氏はこの無機の部分、具体的にはディーリングで最も大切なロスカット(損切り)が見事だった。
上手にロスカットをして負けが込まないようにできればおのずと勝機は増える。相場は期待通りにはならない。常勝は不可能と割り切って臨んできた。
為替取引を通じて得た座右の銘は「性悪説でシステムを作り、性善説で人を管理する」。やすきに流れがちな人間に本質的な罪はない。弱い人を追い込まないようにルールを決める。あとはそれを実行に移せるかどうか。為替に限らず、事業運営の全般に当てはめられる真理だと思う。
みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)本店営業第4部長で不良債権の処理を担当していたとき、「不良債権がある取引先の希望通りの支援を続けていたら負担は際限なく増える。希望的観測はもたずに当初決めたガイドラインに従い、すぐに処理すべきだ」と当時の斎藤宏頭取に訴え、理解してもらってスムーズに事を運べた。
■トライ&エラーの意識忘れず
投資はトライアンドエラーの繰り返し。当たり前のようでも、何が正しくて何が間違っているのかの判断はかなり難しい。大事なのは謙虚に学ぶ姿勢だ。勝てるトレーダーはたいてい、貪欲に情報を得ようと食らいついてくる。
2006~07年、みずほでアジア・オセアニアビジネス担当の常務だったときだ。アジアの中央銀行幹部は金融政策の専門家ではあっても、需給環境が複雑な為替相場にはあまり明るくなかった。そのために中銀としての運用シナリオが正しいのか見極めたいと、為替専門の私にひんぱんにアドバイスを求めてきた。円を元手にした外貨建て取引「円キャリートレード」が盛んなころで、アジア中銀もこぞって円キャリーに傾いていたからだ。
上海勤務時には中国の金融当局が円の自由化の歴史や為替管理の方法について聞いてきた。政府関係者の為替マインドの高さに感心したことを覚えている。
Once a dealer always a dealer. Don’t worry about failure, Worry about the chance you miss when you even try! 「一度ディーラーを経験したらずっとディーラー、失敗を恐れるな」――。ディーラーの合言葉だ。これを肝に銘じ、年齢に関係なく身に付けられるデジタル技術力と新たな人脈を広げられる人間力、リスクをとって市場に対峙する力の「新・3種の神器」を備えられれば、相場だけでなくこの先の社会の荒波も乗り越えられると信じている。(随時掲載)