眼鏡が似合う各界の著名人を表彰する「日本メガネベストドレッサー賞」が10月上旬に決定しました。経済界部門では三越伊勢丹ホールディングス(3099)の大西洋社長が受賞(大西氏の過去のインタビュー記事はこちら)。この表彰式は1988年から30年ほどの歴史があり、実は政財界部門の初代受賞者は安倍首相の父である安倍晋太郎元外相でした。
※画像提供はIOFT事務局。落語家の春風亭昇太さん(左から2番目)や広末涼子さん(左から3番目)など第29回の受賞者たち。三越伊勢丹HDの大西社長は不在
その安倍首相が表彰する「ものづくり日本大賞」では、眼鏡製造が盛んな福井県鯖江市で事業を営むシャルマンが特別賞を受賞したことがあります。国内で生産される眼鏡フレームの95%以上が福井県製のうえ、軽くて頑丈な世界初のチタン製眼鏡が誕生したのもこの地でした。最近は鼻あてパッドの代わりに眼鏡の両方のつるにパッドを付けて頬骨で支える眼鏡が話題を集め、売れ行きも好調とのことです。
しかし、電子機器が発するブルーライトから目を保護するジェイアイエヌ(3046)の機能性眼鏡「JINS PC(現JINS SCREEN)」のヒット以降、眼鏡業界では次の商品を模索する小康状態が続いています。「眼鏡」という観点から、今後の株式投資の可能性を探ってみたいと思います。
※福井県のブリッヂコーポレーションで開発された鼻あてパッドがなく、頬骨で支える眼鏡フレーム「ネオジン」。
鼻パッドが擦れてパッド跡が残ってしまうのを防ぐ
世界規模で進む近視
「2050年には全人口の約半数にあたる50億人弱が近視」――オーストラリアの研究所が今年に入って発表したレポートが一部で話題になりました。50億人(2000年は14億人)もの人が近視になるという予想は確かに衝撃的です。仮にこれらの人が1万円の眼鏡をそれぞれ購入すれば50兆円の市場になります。この規模はベルギーやポーランドの実質国内総生産(GDP)と同程度です。つまり、大きなマーケットが創出される可能性を秘めているということです。
日本は近視大国。眼鏡の装用人口は7000万人と、既に人口の半数を超えているとのデータもあります。 矢野経済研究所によれば、2015年の国内の眼鏡などアイウエア市場は前年比2.9%増の4,939億円で5年連続のプラス成長中です。だいたい一人当たりの単価で7000円というところでしょうか。
特に子供の近視率の上昇が深刻です。文部科学省の「平成27年度学校保健統計(確報値)」によると、裸眼視力が1.0未満の小学生の割合が調査対象全体の30%と過去最高を更新。ゲームやスマートフォン(スマホ)への利用頻度が増えた結果、視力が低下しているようです。将来的には世界各国が日本と同様の状況に陥るかもしれません。眼鏡の主戦場は今後、海外へとシフトするでしょう。そんな際、これまで培ってきた技術やノウハウが盛り込まれた和製眼鏡に商機がありそうです。
世界を見据えて既に事業展開している眼鏡関連企業は注目です。三城ホールディングス(7455)は、中国や韓国などアジア諸国・地域を軸に167店舗を出店。HOYA(7741)の眼鏡レンズの世界シェアは2位です。国内の眼鏡事業は衰退産業と思われがちですが、世界に目を転じるとビジネスチャンスがありそうです。
<眼鏡・コンタクトレンズ関連銘柄>
※HDはホールディングスの略
眼鏡の歴史
もしかすると、世界の眼鏡市場に大きな転機が訪れるかもしれません。そこで、眼鏡の歴史を簡単にふりかえっておきましょう。
眼鏡のベースであるレンズは紀元前から使用されていましたが、現在のように視力を矯正するものではありませんでした。その後、アラビアの学者のアルハーゼンが光学理論について発表すると、眼鏡の開発が活発化。現在の拡大鏡(ルーペ)のように物が大きく見えるものが登場しました。眼鏡の発明家や誕生した地は、ガラス工芸で有名な北イタリアのベネチアやイギリスなど諸説があります。
日本ではイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが周防(山口県)の大名であった大内義隆に献上した眼鏡が最古という説が有力です。しかし、現存する最古の眼鏡は室町幕府12代将軍の足利義晴が使用していたものといわれています。徳川家康も眼鏡を使用していたそうで久能山東照宮(静岡県)に保管されています。眼鏡はこうした歴史的人物や、文字が読める一部の限られたエリートしか利用できない大変高価で貴重なものでした。
足利義晴が所持していた手持ち眼鏡(上)と眼鏡ケース(下)のレプリカ
江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が使用していた「天眼鏡」
眼鏡の形は歴史とともに変化してきました。当初は手に持って見るタイプ(足利義晴が使用していた眼鏡参照)でしたが、1600年代に入ると眼鏡をヒモで耳にかけるタイプが西洋で登場します。しかし、西洋人と比較すると相対的に鼻が低い日本人はまつ毛がレンズに接触してしまうため、鼻あてが考案されたといわれています。また、日本髪が崩れないように眼鏡のつるを短くして頬骨で支えるタイプは日本独自の製品で当時、大ヒットしたそうです。そして1800年頃につる付きの眼鏡が登場し、現在の形になりました。
近年の著名人では吉田茂元首相がつるがなく鼻に挟んで使用する「鼻眼鏡」を愛用していたことが広く知られています。トヨタ自動車(7203)の豊田章男社長はTPOに応じて眼鏡を使い分けていると、眼鏡業界の関係者の間で話題のようです。視力矯正に限らず、ファッション性や機能性が高まったことで眼鏡を効果的に使用できるようになったということでしょう。
ヒモ付き眼鏡に日本人向けの鼻あて(真ん中)を加えたタイプ
日本髪が崩れないよう短いつるを頬骨で支える眼鏡
ちなみに、コンタクトレンズの原理を発見したのはレオナルド・ダ・ヴィンチといわれています。1508年に水を入れたガラスボールに目を開けたまま顔を浸けて実験したそうです。1930年代になるとガラス製のコンタクトレンズが日常的に使用されるようになり、1940年代には大きなプラスチック製強角膜コンタクトレンズ(写真参照)が市販されるようになりました。
- 1㎝以上あるプラスチック製の強角膜コンタクトレンズ
現在、中国やアフリカなど新興国で、爆発的にスマホが普及しています。こういった国々で、小さい画面を見つめる生活習慣が広まるとするならば、世界で近視人口が増えるというシナリオも納得できます。
そのとき、眼鏡市場を席巻するのは誰なのか。歴史とブランドを持った企業の製品なのか、廉価で量産できる体制を備えた企業の製品なのか。新興国市場で拡大する様々な商品を振り返りつつ、世界のメガネ企業を調べてみるのも面白いかもしれません。
※眼鏡の歴史の画像は全て東京メガネ(東京都世田谷区、白山聡一社長)提供
(編集:QUICK Money World)
眼軸が縮むクボタメガネと、外眼筋も照準に関与して視力回復可能とするベイツ説が広まれば、目が悪くて仕方なくかける眼鏡の世界市場は減退し、眼鏡業界はサングラス等の遮光やVRゴーグルや保護メガネに商売を変えていかなければならなくなるでしょう。